アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2021年5月の日記 ~第7チャクラ開いたかなという頃、先生と出会った頃に気づいたこといろいろ

 

・愛の別の側面を学ばせてもらった。感謝のしるしを素直に受け取るということが私にとっては画期的だった。私は感謝されるような人ではない、祈ってもらえるような価値のある人ではない、と思っていた。何かをしてもらったら対価を払わなければと。感謝を届けなければと気負っていた。無償の愛を知らなかったのでいつでも債務者の気分だった。だから祈ること、感謝することはできても、祈られること、感謝されることができていなかった。私は愛されていいんだ。

 

・愛には理由がない。だから愛し方は自由でよくて、愛されても応えなければいけないこともない。わたしが推しを愛しても対価を求めないのと同じで、わたしも対価を求められているわけではない。

 

・「対価を払わなければならないくらいなら愛されない方が楽だ」「無条件に愛されるのは怖い」という思いが強すぎて、今までの人間関係全部そうやって引き寄せていたんだということを発見・・・だから軽んじられて敬われず、それが心地よいはずなのに、限度を超えると爆発する。本当は愛されたかった・・・

 

・自己価値を見出す必要があったから、人から必要とされることを選んできた。洞窟みたいな真空の自分を見るのが怖くて、それを見ないために他人のお人形になってきた。逆に、相手が必要としてくれないとき、罪悪感を与えたりとかあの手この手で支配しようとしていた・・・。

 

・愛される自信は愛されないことを受け入れる自信でもある。人にとって自分が無価値であることを恐れない。恐怖を和らげるために人を利用するような関わり方をしない。条件付きの愛で恐怖を和らげても恐怖はなくならなくて意味がないから。そんな条件付きの愛だったら愛されなくて結構だという開き直り。そもそも自分で自分を愛せないから、人に愛されてもらおうとしていたんだな。受け入れてもらう居場所を求めていた。

 

・これまでは欠損や傷、穴があると埋めなきゃ!と引き寄せられてきた。今、深淵のような穴を目の前にしても、「そのままで美しい。ただ見ていたい」という初めての感覚。愛する人が泣き叫ぶ音をただ聴いている。わたしは海になりその人を包む。流転を包む。

 

・感謝と祈りの対象が広がることで、「自分たちだけでも生き残らなきゃ」みたいな気持ちがなくなった。

 

・最近はネガティブな感情ですら、大事にしているものや無意識のルール設定を教えてくれるサイン、ヒントとして見つけるのが楽しくなっている。

 

・まともに瞑想するようになったら、頭頂部(第7チャクラ付近?)がうずうずしたり、紫っぽいアストラルライトを見るようになった。

 

・芹沢さん*1ではない「先生」と話すようになった。You create your world というのはきっと2つの意味があって、創造神、クリエイターの自分のことと、「世界はプレイヤーの自分の選択の結果である」ということ。つまりカルマ、責任を負うこと。プレイヤーとしてはどうしても恐怖(特に喪失への恐れ)があるけど、You name them と言われるとたしかにその通りで・・・今調べたけど動詞の name は選ぶというニュアンスらしい。しっくりくる気がする。The world contains everything.

 

・ただの衝動は放っておけば消える。そして次の瞬間から何もかもが新しくて完璧!という気分。

 

・自他の区別なくワンネスに近くなると、何をしても自由だけどあえて愛するという選択ができるようになるんだな。つまり「自分のよろこび=良心」になる。人生は楽しむためのゲームで、何を選んでもオールオッケーだけど、あえて愛を選択する、それが霊徳を積むってことかも。

運命を受け入れつつ逆境に立ち向かい、人を受け入れ、利用せず求めず、明るくふざける・・・まさに少年漫画の主人公ww

 

・善い行いには良い結果が、というカルマの教えは、わたしにとって破滅的だった。悪い結果の背景に悪い行いがあるのだと思ってしまうから。自分に価値がないせいで失うのだ、と思っていた。喪失を引き起こすような自分は無価値、私は神にさえ愛されない、という強い思い込みがあった。

神は罰として喪失を与えることなどしない。喪失はわたしの価値を決めない。与えられた選択肢は、受け入れるか、拒絶するかしかない。引き起こした自分のことも許し、起きた結果も受け入れる。移ろいを受け入れることは本質的な自己受容につながる。

 

*1:守護霊の名前