アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年12月前半の日記 ~クインカンクス再発見、金星は抗酸化

 

・火星のエネルギーを次元を落とさずに流し続けることと同時に、次元が落ちてしまった(怒りや欲になってしまった)余剰エネルギーを元に戻す=undoする金星の愛の力。金星は反対向きに自転する。いうなれば「抗酸化」だ。なるべく酸化させないこと、そして酸化しても還元すること。前者が火星の正しい使い方、後者が金星の役割。

なんでもかんでも無分別に受け止める月の女性性ではなく、受け止め方によって愛に変換させる「力」のある女性性。獣をいなし、陶酔させ眠らせる「力」のカードは8番目。8番目のサインはさそり座。マタタビ効果はこうやって使う。相手を貶めるのではなく、男性的な力に屈しないための(恐れから完全に解放されるための)真に強い女性性の「力」を解放する。これは「支配されないという愛」につながる。相手に対する信頼とも。

 

・地を這う蠍から空飛ぶイーグルへ。ゲームに参加せず華麗に身をひるがえす在り方はジョーカーのように。アセンダント双子と水星さそり座のクインカンクスはこうやって使うのか、という発見(というか創造・生み出し)。軽くもあり重くもあり、へらへらとしているのに底知れぬ強さ、深み。何にでもなれる最強のカード。トリックスター。1~21のすべてに貫通しながら全く接していない0のFOOL。語り部と書いてきたそれ。

 

語り部…「語る」と言ってきたけど、そこにはまだエゴを残そうという思いが残っていたんだとわかった。聞き手としての神を自らの外に追いやって、エネルギーを自我にため込んで次元を落とそうとする。「聞いている」のもほかでもない自分なんだ。いかに男性性の方に軸を置いているかを思い知らされた。女性性の方にも自我を置く。

触れられている肉体の自分。存在させられている器の自分。火を受け止めている土のわたし。そうやって意識をスライドさせていく練習。タロットで「このオイルをやると肌はよろこびますか?」なんて質問をするときにも、ああ、発想が男性性♂でしかないんだと気づく…。肌の想いも、石の想いも、木々の想いも、空の想いも、きっと「わかる」ようになる。すべては同じ自分の意識だから。

(いつの間にかHorsetailのエッセンスのテーマをやれていることに気が付いてびっくり!やっぱりフラワーエッセンスすごい)

 

・あらゆるものが自分であるということへの理解が一層深まってきた。理論ではなく本質的に。人だけではなく実になにもかもが、ある意味で「シャドウ」だ。スープの中から型を浮き出させ、それを「わたし」としただけ。残された他のすべては、わたしをつくるために切り離されたものでしかない。

 

・いったん完成した小宇宙の7を内包して、次のステップとして改めてワンドを使う、7+1の8が「力」ということ。「与える」という「女性性」。光で存在し、エネルギーを抱えて昇華し続ける。光が流れる速度に合わせて行動したい。今はまだ、繰り返されてきたせっかちな行動パターンが抜けきっておらず、愛が湧きだしても満ちる前に動いて散らしてしまう…指先までエネルギーの光を灯し、優雅に生きていきたい。「火を土に」のペースを合わせたい。いつでも満たされきったエクスタシスを。

 

・ペースを合わせるといえば、それと同じことで、よく「先生とダンス」「神さまとの共同創造=踊る」と書いてきたけど、楽しく美しく踊るためにはパートナーの動きをよく見ることが不可欠で。そして自分が実際にどんな動きをしているのかを客観的に見るのも大切だ。そのためにわたしは目を良く見開く。感じる。

 

・「今この瞬間の明晰さ、明晰になってはじめて次の瞬間をつくる」と書いていたことを、改めて表現しなおしてみる。「今この瞬間のあなたと愛しあってひとつになって(受け入れて)、そこからはじめて生み出されるものがある」。はっきりと感じ、集中しながらも夢と知り、その感動を絶やさないこと。

 

・「選択の結果の責任を負う」というと堅苦しいけど、要するにすべてを受け入れ楽しむという気概だと書いた。これこそ「一段上の」女性性の「力」であり、またジョーカーでもあると気づく。あの独特の吟遊詩人、道化師のイメージもそういうこと。Is that all there is?♪

宇宙の使者としての自覚をそろそろしないと…こういう勘違い自称ライトワーカー系のセリフは嫌なんだけど。宇宙の使者、その無上のよろこびを、わたしが感じることを許していい。

 

・タロットカードで「力」と「正義」の配置が入れ替わるの、当たり前と言うか本当にどっちでもありだなと思った。選択の責任を負うのは「正義」のカードでもある。

 

・皆それぞれが大切な命を燃やしている。すべての瞬間のあらゆる創造に敬意をはらう。そう考えると、会うときだけでなく、ラインのメッセージひとつとっても、それを読んで返事をするという時間をいただくわけで、ますます真心をこめてコミュニケーションをとろうと改心した。中身空っぽの(気を持たせるだけの…)「うれしいです^^」「楽しみです^^」とかではなくて。一言一言から質の良い波動が放たれているかどうかきちんと吟味する。本当に相手のためになるかどうかと思いが及べば、お節介もしなくなる。大切な時間をいただく価値のあることだけを伝えれば良いのだから。

 

・自分のコミュニケーションの問題点がさらにわかってきた。わたしは「自分はこう考えている」と言ってくる人に対しては「そうなんだね」と言えるように(これでも)なってきたけど、「どういうことだろう?おかしいじゃないか」というような(母のような)タイプに対しては<答えよう>としてしまっていた。答えるというのは、わたしの考えの表明でしかなく。

実は、疑問や不服をぶつけてきている本人は、本人の中で答えがあるんだ。つまり、形として疑問形や感想文のように聞こえるだけで、それは十分に意見表明なのだ、とはじめて気づいた。そのことが長いこと全くわかっていなかった。母のようなタイプは「わからない」という言い方をするので、わたしは「わかる人」として話そうとして、意見が衝突するだけでなく余計な上から目線や力関係まで加わってしまう。しかしとにかく起こっていることは、わたしが余計な干渉をしているのではなくて、単に意見がぶつかっているということなんだ…!!

そうとわかれば、そういうときにはわたしにとっても異なる立場の意見や考え方を知るありがたい学びの機会だと、受け止め方も全く変わってくる。これまでは…疑問文や不服、不納得という形態を投げかけられると、ある意味で「喧嘩を売られた」ととらえてしまっていた。しかも喜んでそれを買っていた。なので相手がすぐにそれを興味なさそうに放ると、こっちは真面目に話しているのに!と、からかわれた気分にさえなっていた。それでなおさら腹を立てていたんだ。

 

・そもそも答えないということが、わたしの中で「負け」と連結していたことがわかった。「不同意でも否定しない」と以前から書いているのにうまくできなかった理由は、自分がなにか表明しなければ塗りつぶされてしまうという恐怖感があったからだ。

相手の何かを放っておくと、自分までそれを投げ込まれたような感覚になる。でも実際には、わたしは投げ込まれたそれをわたしの中で解決することができて、それをわざわざ相手に対する「応答」として表明しなくても大丈夫なんだ。「わたしだったらそれはこう考える」というのは、わたしの中にあればそれで十分だ。

相手に対して(特に、疑問形に対して!)黙っていても、それは負けではない!そもそもが、「答えられないから黙ってるんだ~~」と思われたくなかった、ばかみたいなプライド。答えられないんだ~なんて勝手に思わせておけばいいじゃないか。ある種の「負けるが勝ち」を学ばなくちゃいけない。Twitterとかでも、何かのスイッチで突然反応してしまっていた部分がそこにあったんだ。煽り耐性がないというやつだww

 

・悩みというのはたいてい、見たくない自分自身や現実を(本当は直視するべきなのに)見ないようにするためにすりかえてこしらえるものなんだなと思った。だからこそエゴはもっともらしく「悩み」を持ち続けようとする。

 

・負けるが勝ちを学ぶ、煽り耐性をつける、と考えたときに真っ先にまほやくのオズが浮かんだ。ほかの北の魔法使いたちのことを考えてみると、煽られやすい人は本人も煽ることが好きなんだな。つまり、物事すべてを闘争のようにとらえているということ…。そういう方面はもういいから、オズ的な強さが欲しい。

 

・男性性に女性性の重みを、女性性に男性性の軽やかさを、上手に配分したい。愛が湧きだすペースに合わせて行動する。運動感覚(♐)になる前の生命感覚(♏)、言語(♊)になる前の思考(♉)を大切にする。しっかりと腰を落ち着けて、ゆっくり話す。そして深刻になりすぎることなく、なんでも楽しんで受け止める。やっぱりアランプライス…原点。

 

・♉は2番目のサイン、女教皇のカード、完全な受容の女性性。玉座に座っている王族。そのはずなのに、いつのまにかToDoリストに夢中になって動き回ろうとする癖をなんとかしよう。自分に何が足りなくてこうなっているのかがわかってきて、それが芋づる式に各方面とつながっていって面白い。♉こそI have、「何も探しにいかない、すべてはここにある」。今ここの世界、五感を大切にする要素。何もしないということをするというような人。しかもそれを意欲的に、よろこんで、ある意味目的意識をもって、するということ。空間の全ての粒子にあなたが満ちているのだから、その次元では♉も♏も同じこと。

 

・金星をルーラーとする♉と♎の面白さ。♉を通じても金星にたどりつけたら、還元力は倍加される。

 

・人をほめようとしても不自然になるのは、上品に振る舞おうとするのが不自然だというのと同じで、「外気を使うか内気を使うか」ということなんだ。自分のため込んだパワーを使って人に与えようとしても疲れてしまう。それは電池交換式で、有限な「月明かり」。本当に感動している人(その感動によって相手にエネルギーを与えられる人)というのは、外気を流しているだけで、太陽のようで自然だ。

「こうありたい」と思う在り方は結局いつも同じで、「ただ天と繋がっている」ということに尽きる。「わたしは愛を伝えられない」だとか決め込んで罪悪感に逃避しても何にもならない。できないことにしてふんぞりかえっている場合ではない。

 

・心身の浄化が必要という時に、何をしたらいいんだろうと焦るけど、単に一人の何もしない時間をつくるだけで十分「これが浄化だ」と感じる。あとは太陽にあたること、空を見て、植物を見ること。焦りを捨てて信頼に戻ること。とてもシンプル。脳の断食っていうことかもしれない。

 

・「起こったこと、やったことを受け入れる」♂→♀は1→2【吊るされた男】。

それを反転させた♀→♂は2→1【世界】=「愛によって行動する」。

 

・川が沖の方へ流れていく。沖合にひっそりと咲く一輪の花。わたしはその花のために、川の流れも、空の日差しも、岩場も、なにもかもすべてを用意しよう。それが圧倒的な神の愛、尽きることのない恵み。

 

・自慢げにひけらかす、注目を浴びようとすることは「月」である。称賛される側は光をもらっているから。実は称賛している側、愛を贈る方こそが太陽であって、太陽が照らさなければ輝けないような(よろこびが得られないような)在り方は月なんだ。誰かに承認されないと光ることができない幼さ、不完全性、依存心。