アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2021年4月の日記 ~マンエフェ(?)に苦しむ日々、自分なりの世界観の再構築

 

明晰夢。鮮やかさや触覚に感動しながら慎重に冒険する。次の瞬間どうなるかわからない世界を信じて受け入れる。常に観察する集中力を持てるようになったら、次は創造することかも。

 

・最近色々なものが違って見える・・・やっぱり本当に「今ここ」しかなくて、どんな記録もすべてが生配信、同じ瞬間は二度となくて、どんなに握りしめても手に残るものは何もない、愛しい。

 

・地球はとても変なところだ。ひとつひとつの創造をサボって省エネするためにルールをコピペして重ねた場所・・・因果も法則もあるようでないようなもの。改めてそう思った。

そうは言ってもほんのわずかな法則の崩壊で人間の精神は甚大なダメージを受けてしまう。どれほど予測に依存し恐怖を持っているかがわかる。やっぱり好きな物は変わらないでほしい、手元に置きたい、いつでも再現したいと思うもの・・・でもそれこそが原罪と言われればそうなのだろう、咲いている花を手折ること。移ろいへの恐怖。

 

ゲシュタルト崩壊という言葉はルールの undo と言ってきたのと同じ? パラレルワールドの移動っぽいことも普通のように認識するようになったけど、それもゲシュタルト崩壊も、結局は「正気を維持する」ということとのせめぎあいだ。

高次元世界のイメージが少しついたけど、今の頭じゃ発狂して終わりだな。法則を少しくらい手放しても大丈夫になりたい・・・受け入れるキャパを広げていきたい。

 

・思ったけどゲシュタルト崩壊って言語がなくなる感覚に近いかも。脳内の思考を言語で統御できなくなったらどんな世界が見えるのか。やっぱり正気とのせめぎあいだ・・・私は一体どうしたいのか。

 

・変化が急すぎる、法則が壊れてきている。マンデラエフェクトのレベルを超えている。夢と現実の区別がつかないインセプションみたいになってきた。ついこの前まではパラレルワールド移動説vs高次元改変説とか考えていたけど、どちらでもなくどちらも正しいのかも。時の流れと世界線の移動は本質的に同じ、パラパラ漫画イリュージョン。

 

・仮に人間的な価値基準から言って悪の存在が改変していたとしても、その存在すら神の粒でできていてすべて予定調和。クリエイターの自分を全面的に信頼している。準備が整ったからイベントが始まったんだ(認識できるようになったんだ)という気がする。

 

・現実の変化があまりにも奇怪なので夢から覚めたいと思ってしまった。でも3次元の夢から覚めてもクリエイターの創造は永遠に続いていく。終わりがないということ、永遠を受け入れていこう。

 

・現実と思っていたものが壊れてくると外側に喜びを求めることができなくなってくる・・・自分で自分のろうそくに火をともす練習をしないと。

 

・あまりにも今までの常識がひっくり返ると、過去は記憶にしかないことをリアルに実感する・・・今目の前にあるものを大切にしよう、握りしめることにエネルギーを使わないようにすればその分今に集中できるはず。

 

・人に限らず霊的存在に対しても、気分を害したらどうしようと「失敗」をすごく恐れていた。失敗という概念そのものがルールの産物で、高次に行けば行くほどそんなものはないと知る。逆に言えばルール作るために人間やってるのかな。条件付きの愛、それこそがゲシュタルトであり、正気そのものか。陰陽を分かち、光を光と感じるための、人間。

 

・恐怖や拒絶、独占欲そのものを認められるようになった。前はそれらが生じること自体を恐れていたけど。陰陽分けるために人間やってるんだから恐怖生じて当たり前じゃんという開き直り。

 

・人間は陰陽分ける生き物なので、すべてを光にしても中に闇を見出すし、すべてが闇になっても中に光を見出せる。

 

・死ぬとわかってて生きる、奪われるとわかってて守る、悲しむとわかってて愛する。それこそが人間で、悪魔との勝負は最初からついている。陰陽分ける能力がある時点で全部を光/闇にしたい悪魔に勝利している。さすが神の子、生きているだけで創造してるじゃん。

 

ゲシュタルトはない方がありのままをとらえられると思ったけど、前に言ってた「器」と同じでやっぱり必要だった。直観を邪魔しない程度のゲシュタルト解放・・・バランスが難しい。*1

 

・長い長い宇宙の夢のほんの一瞬と思えば実にすべてが美しい。いつでも明晰夢と思って生きるといろいろなことひとつひとつに感動する。自分の夢を自分のものにする感覚。

 

・もうすぐこの世も終わると思っていたけど「この世」とか勝手に区切っているだけで何も終わらないし永遠なんだよな。仮に解脱したってまた飽きてゲーム始めるかもしれない(?)今度は芹沢さんがリモコンを握って、わたしが隣で眺める番かもしれない。そう思うと楽しい。

 

・推しを支える全存在のことを思ったり、推し自身の移り変わりを眺めたりしていると、オールオッケーだなという気分になる。世界の全てが推しになる(?)一度そこに到達してから改めて推しを愛する、幸せ。ルール undo と同じことだ。

こうであってくれ=それ以外は受け入れられない、という条件=原罪は愛ではない。一度無条件の愛を通過してオールオッケーにしてから、自ら自覚的にゲシュタルトを生成する、改めて「推し」という存在を区切る。

 

・魂は Who are you? に答えられない。過去の自分は自分か?ときかれて、なるほどと思った。履歴書がわたし自身を表すわけではない。

 

*1:ブルース・モーエンの「知覚者」と「解釈者」のバランスのことをこの頃から理解し始めていたみたいだ