アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2021年12月の日記 ~相手を「劣等者」にするな。守護霊願望の正体、食物連鎖・・・他

 

・さみしい人を元気づけようとする私の癖は、相手に欠損を見出している=相手を下に見ている。この人なら汚れた私の愛でも受け取ってくれそうだという打算。だから受け取ってくれたかどうかにこだわり、無意識で支配的になる。自分のことも相手のことも信頼していない証拠。きっと受け入れてくれると相手を信じ、自分の在り方に心から胸を張ることができたら、ヘドロ(エゴ)は浄化される。

わたしがあちらの世界で愛されるとき、彼らはわたしのことを信じてくれていたんだと知った。圧倒的に信じていて恐怖がないことが、純粋な愛のエネルギーの秘訣なんだ。

 

・「受け取ってもらえなくていいんです」というセリフが出ること自体が、受け取られることにこだわっているという・・・受け取ってもらえない恐怖を見ないふりをして、脳で納得して対処しているだけ。受け取ってもらえる自分の姿を想像できないほどの自己否定とも。

 

・私を大事にしてくれた両親にとって大切なものを大切にすることが両親の喜んでくれることなんだとわかった・・・それは私が私を大事にすることだった・・・

 

・得体のしれないエネルギーから守り、支え、恐怖を和らげてくれる土星の愛を知る。失いかけないと気づけないという人の愚かさ。

 

・「なぜ」と問うことは、そのままでは食べられないものをよく噛んで消化したい、受け入れたいという思いからくるような気がする。おとめ座うお座は視覚と味覚なだけじゃなくて、ボディアストロロジー的にも面白い。陰陽を分ける、フォーカスの方のおとめ座は消化器官。自分ではないエネルギーを自分として受け入れた結果としての脂肪、それがうお座

食べることは受け入れること。世界に与えてもらう=愛されること。そして、受け入れたものを排泄する=受け流す機能に相当するのが天秤座やさそり座なのね。受け入れられないということを受け入れるのは地味に大切。

 

・世界に拒絶されたと感じて深く傷つくとき、世界もまたわたしに愛されていないと感じているのかもしれない。わたしがさみしいと神様もさみしい。

 

・太陽エネルギー等を物質的な波動に変換して栄養を提供する植物、それをまた変換して肉として提供する動物のように、人間も誰かの知識や想念、認識、愛を食べて変換し、また誰かに食べられるのが宇宙の摂理だと知った。自分の何をだれがどう食べるのかは知る由もないけど、食べたり食べられたりするということがとても自然でよろこびに満ちている。魚や虫や草木のように、すべてはすべてのためにあり、存在することが存在している意味で、それだけで完璧だった。

 

・受け入れて取り込んだものを受け渡す。生き様自体が自分を含む世界の養分になる。世界から与えてもらい、祝福してもらい、そして食べてもらう=与えることを通じて愛する。

 

・男性性と女性性が完全に一致して統合されるとき、そこには男性性(自由意志)がないように感じられるけど、受け入れないという選択肢がないだけで、受け入れるという選択をし続けている状態なんだ。あるがままの自然、起こることをただ受け入れる女性性は、陰陽の陰であると同時に、統合された状態をも指すのかもしれない。

 

・物事を一連のプロセスでひとかたまりとしてみると、欠けると不完全な感じがする。ひとつひとつの行為、瞬間で完成されているのに。何かをひとまとまりとしてみることにあまり意味はない。瞬間に分割し続けたら、さっきまでひとまとまりに見えた物事は大きな人生の流れの中の一部でしかないことに気づく。

 

・次元は場ではなく意識レベルの問題だということを改めて認識。完璧な瞬間の連続は物質界でも霊界でもどこででもできる。

 

・どうしても気分が晴れないとき、「そうか、雨をつくることで晴れを嬉しくしているのか」とわかった。飽きないようにする自分のためだった。そもそもここはわたしのみている夢、こんな夢をみたいのか?と自問しても雨のときはそういうことなんだ。

 

・すべてに神が宿っている感覚と「愛は空気」というのは同じで、意識すればあたたかくなる。先生にTake a deep breath と言われたのを思い出した。