アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年1月の日記 ~『チャクラヒーリング』やスペザーノ博士の本の読書記録ほか

 

・わたしがこれから出会う誰かの人生の中に、わたしが登場することになっている…という考えが妙に気に入った。夢でときどき顔を合わせるアーキタイプに対して、やっぱりどこかのタイミングで出会うのだろうか、と思う。

 

・先生の「声」がどんな形でやってきても受け取れるように直感を磨こう。「気が変わった」ら素直に従えるようになろう。

 

・忙しくタスクを処理しながらも、どこかでまだらにでも「動いている自分」を感じている心があった。以前よりのめりこみ度が軽減されているかもしれない。引き続き動きながらサットヴァを目指す。【世界】のダンサーになる。

 

・「愛を投げかける」スキル練習。自分の「外側」のエネルギーを取り入れて使う、と思いすぎていて、かえって空回りしていた。先生やバラの花びらに触れたいと思う時の、「内側」から湧き出る感覚こそが無限の愛なんだと気が付いた。自分が与えることで流れ込んでくるというか…結局、愛の感覚にアクセスさえできればあとは問題ないのかも。

「投げかける」というイメージもなかなかできていなかったんだけど、内側から湧く感覚を得てからは、白い光のカーテンのような、オーロラのようなものを幾重にも層にしてかけていくようなイメージが現れた。あとで振り返れば、「愛はドライヤーではなく空気」「ぱくぱくわっかを出す人になりたい」と書いてきたことに一致しているとわかる…(他人の描写したイメージ、ビームとか…に引っ張られてたんだな;)

 

・ルートチャクラのヒーリングワークで、地球とつながる=グラウンディングに抵抗があることを認めた。なぜなのか探っていくと意外な…というより、根深い事実に突き当たった。「一度そこに根を張りつながると、もう離れられないのではないか」という不自由さへの恐怖と、その恐怖を感じることや離れたいと思うことそのものへの罪悪感。つまり重力への恐怖と、愛しているのに傷つけなければ生きていけないという恐怖、自己否定。。

松村さんもきっと無自覚に地球や月を恐れているのでは?そこにフォーカスしたら出られなくなるという思い込みが幼少期から連綿と続いている。

ちゃんと根を張っても、いつでも出られていつでも帰ってこれるのだ。月はいつも共にあって、どこに運んでも安心をくれる。海の愛を、地球はわたしたちに持っているんだから。意図して居を構える、Roost。

 

・わたしは自分に「ある特定のよろこび」を感じることを禁じていたことがわかった。わたしはわたしの好きなものが何をもたらすのかをずっと恐れていた。青白い光、と呼んで怯えていたものが、第5チャクラの色だと気づいた時の衝撃!!ここにきて自分の原点にまた戻ってきた感じがする。

 

・外出すると松村さんが言うようにどこも同じ場所、見たことのある景色に感じるけど、その感覚が進んでいるのはこの一連の改変のせいもあるかも。いろんな絵に同じ傾向を持たせるのと同じ。「土星は型押しスタンプ」というし、結局サタンということなのか…。

 

・ものすごい数の人工衛星がここ1~2年?で打ち上げられているらしいけど、そのことについてふと、地球の「月」を増やす…「地球の土星化」??と考えた。これ以上分割しない4つの元素のところまできて、そこには入り込まない(対象化するのみで、先には進まない)はずだったのに、その先に進もうとしているのかな、なんて漠然と思う。メタバースとかそうだよね。

 

・「わたしたちは皆成長の過程において異なった地点にいる」ということは以前からよく承知していたつもりだったけど、いま改めて思うと「無時間」のレベルではすべての人が完成まで到達している、そのプロセスが組み込まれた種なのだから、そもそも前後関係すら存在しないんじゃん、としみじみ。

 

・幼少期の自分に遡ってヒーリングするワークをしてみて、前よりも愛が深まっていると思った。当時抱えていた喪失感と不安もよく理解した。見えなくなってしまった、わたしの「ジョンジョーンズ」…また会えたよ、ずっとそこにいてくれたんだよ、もう大丈夫だよ、と今なら伝えられる。そして、泥水のようなその環境も、愛しいこの人をつくりあげてくれた愛しいところとして、すべて受け入れられるようになった。

 

・解釈者としてのこの人をできるだけおとなしく隅において、できるだけ美しい静かな湖面にしたい。同時通訳をするべき存在が自分の意見を勝手にさしはさんで、その間の情報が何も訳せないみたいな感じだなと思うww 知覚したまま正確に伝える(意識にもたらす)と心がけよう。。

 

・自分が恋愛の高揚感と罪悪感をセットにして、自分に対し恋愛を禁じたから、夢もそういう形をとって現れてくるんだ。浮気だったり不倫だったり。解放されよう。

 

・推しという器に執着することでいろいろな機会を遠ざけていたこともわかった。特に、器や様式を手放すことは、それによって愛を感じる力を失ってしまうのではないかと怖かった。その恐れを手放す。自分でも薄々気づいていた通り、新しい出会いが入る余地をあえてなくしていたんだなということもわかった。

 

・「間違いを正そうとして何度も転生してきた」と書いていたことを思い出す。自分にこう伝えよう。

「あなたは何かをする必要はない。あなたが他人の傷を見ている限り、あなたもその人も癒されることはない。傷を治すのは本人であり、あなたは何もしない。あなたはただあなたを生きればよい。そうしなくちゃならない。そのことが、たとえ見た目の上では他人の傷を悪化させているように見えても、あなたにはっきりとした愛がある限り、歩みを止めてはいけない。それはすべての人にとっての癒しのプロセスになる。わたしはわたしの生きた道のすべてを愛している。あなたは許されている。だからどうか、支配されてくれるな。支配・被支配では痛みをごまかすだけで、誰も幸せにならない。」

 

・エンパス問題も金の玉問題も結局は、それらを言い訳にして自分が直面すべき人生の課題から逃げていただけだ。自分の本当の姿が浮かび上がってくることを恐れた。でも今はむしろ、わたしの知らないわたしに出会えるのが楽しみだ。自由な本当のわたしを見てみよう。わたしはまだわたしのことを何も知らない!

 

・内惑星の限定された空想より、全惑星のダイナミックな体験で成長したい。

 

・結局すべてのカギを握るのは自己観察だ。好んでよろこんでしていた行為や役割が固定化されルールとして死んで来たときに気づけるかどうかも自己観察だし、自らの欲求のフォーカスしすぎて苦しみが生まれたときも、それを空想で慰めるのではなく(!)自己観察によってサットヴァを取り戻すことが大事だ。自分の欲求も所詮はアストラルレベルで、そのすべてに対応する必要はないから。「大切なのは、光の枝を掴んであたたかい光で自身を満たすこと。」

 

・そしてもうひとつ中心的なテーマは、支配欲とその根底にある失う恐怖、それを手放すこと。宝物に執着して、失うことを恐れるあまり、まったく無意識に支配的になってしまう。それは全く支配には見えない形でも起こる。わたしを拒絶させ傷つけるように仕向けたりする。あるいはわたしを征服させたりする。それらはすべてわたしの内側にある恐れと支配欲が現象として出てきたもの。獣性にとりこまれず、純粋に与えたい火星♂を自らの内に見出せば、外界にも現れるのかもしれない。

 

・夢でわかったことは、わたしは全く与えようとしておらず、「欲しい」としか思っていなかったということ。仮に与えるにしても、それは「もらうために与える」対価であって、「くれるからくっついてまわっている」というひどい状態だった。わたしは心から与え合える関係を新しく作りたい。もらうために与えるのではなく、与えたいから与え、よろこんで受け取る。

与えるとはつまり、「自分の魂をかかわらせる」こと。

 

・安心と高揚を「くれる」人、を望んでいたけど、これも誤り。安心はもらうものではなく自分で「つくる」もの。そして高揚も、もらうものではなく自分が「感じる」もの。よろこばせてもらおうとするのではなく、自分がよろこぶ意志をもつこと。そして自分がよろこびを作り出すことで、よろこびを無尽蔵に与えることも叶う。

 

・目的も意味も必要なく、ただひたすらに高揚する、移り変わり続ける世界を味わう、明晰夢の感覚。その状態で散歩するとき、「概念」を五感で眺めているような感じがした。わたしはただ世界を垣間見ている。旅先の夜のような気分で、まっさらな未来を想う。

 

・性的なトラウマすら自分の支配欲が原因となっていたことがわかった…自分の支配力が及んでいることを確認する(惹きつける)=無自覚に「もらおう」とすること。相手を獣のようにわざと扱い、貶める態度。

支配欲を手放せば惹きつける必要がなくなり、つまり「媚びる」ことがなく、自分であり続けることができる。結局は自己価値への絶対的な信頼と、相手の自由を許すこと(=相手を信頼すること)に終始する。そのままの自分であり続ける勇気をもつこと。

 

・わたしはわたし自身のことを何一つ決めつけてはいけない。わたしが何を人に与えられるのかをわたしは決めない。わたしにどれほどの可能性があるか、わたしは知らない。

 

・相手の欲求に寄り添うフリ(=支配されてあげること)は相手のためにならないし(成長の機会を覆い隠す)、相手に対して失礼でもある。へたに希望を持たせないこと。

 

・メンタル体が不在になったただのアストラル体は残りかすであり、死体と同じ。パラレルに考えれば、死体に蛆がわき腐るように、取り残されたアストラル体にも邪気がわいて分解のプロセスが始まるのかもしれない…

というわけでメンタル体の宿る玉座を奪ってしまう酒は怖い。器に邪気がわく。

 

・自己価値が低く自我を滅却して、人生を進めていく責任を他人に押し付けることは「月」と化すことであり、メンタル体が不在となったアストラルの残りかすである。選択し責任を負う自我=太陽を自身の中から失っていて、そういう人は獣と同じで憑依もされやすく、感情も完全に不安定で、周囲から見ても「怖い」存在となる。刻まれた(反復された)行動パターンのみで動いている。周りはその人が「怖い」ので、その対象をコントロールしようとする動機が生じてしまい、すると対象はますます不在となり月化する。主従関係が出来上がっていく。その人がいつ豹変するか…とまったく信じられないため、周りもその人から何も受け取ることができないし、コントロール(餌やり)をやめれば終わってしまうんだということで周りの人々の自己価値の低下にもつながる。

 

・つまり支配欲は人を月化させる=酔わせる。これが「マタタビ効果」の真相だ。。