アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年12月後半の日記 ~生命の樹のセフィロト考察とパスワーク記録

・『神秘のカバラ―』を読んだ。上の次元に行くにつれて男女の役割が反転するというのが面白かった。物質界では男は生ませる存在で、女が生み出す存在だけど、アストラルレベルでは反転し、女が男に生み出させる(形にさせる)と・・・。

 

・1「ケテル」は10「マルクト」で味わったスープからとった出汁のよう。宇宙の源というなら、それはわたしに言わせれば、原始の愛だ。ケテルからコクマーへの流れは意図だ。愛を意図する。知りたいという純粋な好奇心。崖と波を前にした愚者のパス。虹色がかったパール/パールがかった虹色のエネルギー、コクマーの、無補正でむきだしな、ピュアな愛のエネルギー。

ケテルからビナーへの流れは存在性の意図。意図して存在する(存在させる)魔術師のパス。あらゆる具材(かたち)が立ち現れてくる深い黒。

コクマーの流れをビナーが受け止める。愛が存在する。大自然を思わせる女帝のパス。これで至高の三角形。知恵という連想の流れは、理解という形をとって落ち着く、定着する。

別の表現もできる。「雄牛」のパスであるコクマーはアニメーションの動き。キャラに生命を宿す原理そのもの。「家」のパス、ビナーはキャラを描くペンを満たすインクの黒のようだ。大きな顔、横顔のケテルこそ作者。

 

・愛を意図して存在する、愛によって存在を得るようになったのがティファレト。美しさと調和の中に息づく。「犠牲とはエネルギーの変容」。ティファレトの絶対帰依はすべてを愛のもとにまとめあげる要だ。コクマーからケセドへの教皇のパスと、ビナーからゲブラーへの戦車のパス、それぞれの絵柄・モチーフの中間となっている女教皇のパスこそ、ケテルとティファレトを結ぶ径。陰陽のある中で静かに座って受け入れている。深淵のヴェールをまたぐ、神界につながるパス。

 

・コクマーとティファレトを結ぶ皇帝のパスは、ぬいぐるみを動かすところ。You're mine. 思わず笑顔になる♈。

ビナーとティファレトを結ぶ恋人のパスでは、ぬいぐるみとぬいぐるみがごあいさつ。Is that all there is? 気楽な人形劇が始まる♊。

聖書にもある通り。「わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」。

 

・慈愛と恩恵のケセドは木星であり、愛の鋳型。コクマーとケセドを結ぶパスは規範(鋳型)を示す教皇

力を意味するゲブラーは火星であり、動きそのもの。ビナーとゲブラーを結ぶ戦車のパスは、カゴという形と、+と-の反復による進行。命を燃やす、死(ビナー)を内包しながら、時(ビナー)の流れを進んでいく。

 

・ケセドとゲブラーを力のカードが繋げている。これこそまさに最近まで書いてきたテーマ。燃えるようなゲブラーを微笑みながらいなすケセド。ケセドこそ玉座に座る柔らかな王のイメージでもある(ラスティカ)。受容とは同化作用だ。

 

・作者と繋がっている自覚のあるティファレトの意識は全惑星意識。ティファレトはその中心となる太陽。ネツァクやホドとのパスはそれぞれゲブラーやケセドとのパスと、まるで張力があるかのように均衡する。

 

・面白いのは、物理学でこの宇宙(世界)が理論上11次元まであるとされていることと、生命の樹のセフィロトの数が対応しそうなところだ(ダートを含めれば)。

理屈を超えた本能やよろこびを求める欲望のネツァクはインスピレーションの源であり、言ってみれば右脳的。対するホドはそれらを枠に入れて(分析できるように)名前を付ける、左脳的。

目から入る情報というのはそもそも二次元であり、それを右脳が空間として処理し、左脳が時の流れを把握するからこそ、そこではじめて人間は4次元(3+1次元)に生きる。マルクト、イエソド、ホド、ネツァク。その4次元世界を超えても存在する5次元意識というのがティファレトの領域。

物理学で、余剰次元は粒子の中に小さく折りたたまれているのだという、一見すると訳の分からない話も、上位7つのセフィロトが「隠れたるもの」として存在することを示唆しているのかもしれない・・・。

 

・マルクトは単一の瞬間で、イエソドはネガフィルム、ホドとネツァクで時空だという↑の仮説が正しいとすると、下の三角形はあるひとつの作品内におけるページ移動のようなものだ。最上位の三角形(至高の三角形)は、描き手や読み手の目線のため、作品選択自体が自由だ。そして↑の説だとダートは8次元にあって、それはロバートモンローの言った「アパーチャー」になるのでは。つまり7次元までは個としての意識を持ったまま移動できる。連続したパラレルシフト、あるいは非連続のパラレルジャンプが起こる。

「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける。」

 

・「やっぱり太陽こそ本物のアーティストですね。」ふいに口にした自分の言葉がヒントになる。光が当たることできらめく木々の葉、浮かび上がる一枚一枚の輪郭の鮮やかさ。「わたしを見て、わたしを愛してください。その陽のエネルギーは、わたしの美しさを引き出すために使って」と先月書いたことと繋がってきてハッとする。

 

・人形劇なのだという悟りを虚しさで終わらせないためにネツァクがある。ネツァクが虚しさを越えさせる。ゲブラーの活力をティファレトの方に導いてくれる。ケセドのプロット/シナリオを動かす、「運命の輪」を回転させる動力。

 

・ケセドとティファレトを結ぶ隠者のパスは♍で、「愛が湧きだすのを待つ」。性を超えた高次元の愛がどういうことかを知る道。「まるで張力があるかのよう」と書いた通り、このパスの向かい側にあるのはティファレトとホドを結ぶ悪魔のパス。これこそティファレトによってバランスを取る意味なのだとわかる。ビナーとティファレトを結んでいた恋人のカードが反転(暗転)して、「両性具有の」悪魔が男女をつなぐ。(ホドは両性具有。)ホドの智恵というのは、”兄さん”的だ。愛したものを閉じ込めたい、原罪。

そして悪魔のカードの意味はもうひとつある。それは、「わけのわからなさ」。本当のところは何も分からない、ということ。ホドでは、わからないものをわかったことにしているだけで、わからない状態に戻っていくのが悪魔のパスだ。

 

・ゲブラーとティファレトを結ぶのは正義のパス。ケセドからの愛(力と隠者のパス)により、力の方向付けの指針を得る。「力を正しく使う」。命を生きるとなると、必ず何かを選択しなければならない。陰陽の中で、偏りを知りながら、どちらかを選ぶことになる。そのときに「わたしの力はそのためにある」と言えるような生き方をするのがこのパスだ。

ティファレトを挟んで反対側の、ネツァクに通じるパスは死神で、これはエゴの死。力を正しく使うために、ネツァクから湧き上がってくる欲望や情動の中から不必要なものはこのパスで死ぬ。エゴの弱さからくる保身や恐れを捨てる。ここで重要なのは、エゴと情動は別であるということ。死神はパスそのものであって、ネツァクではないということ。ネツァク自体をエゴとみなして封じるとどんな情熱も消え去って、それはティファレトの帰依や献身ですらなくなる。本当の献身には身を焦がすような熱い愛、情熱があり、エクスタシスがある。死神のパスは♏のパスでもある。一瞬は永遠。あなたが触れ、あなたに触れるとき・・・。

 

・ティファレトとイエソドの間の節制のパスでは「太陽と月を混ぜている」(と先生が言っていた)。アダム・カドモンであるティファレトの在り方を、日常生活の無意識レベルで実現できるようにする。エアコンのスイッチをONにしたままにできるような。クオリア錬金術だ。黒を白にする特異的転倒。♐の人馬は地に足を付けながら遠くを見据えている。弓道。矢の小径。

 

・ゲブラーとホドを直接つないでいる、吊るされた男のパスは、エネルギーを意図的に頭部に集めるシンボルのように見える。そこで集まってできあがった智恵の光が、イエソドを照らす太陽(のパス)の光になる。まさに↑に書いた通りの、輪郭を浮かび上がらせる光。だけど本当はその知恵は、仮設の枠組みを打ち立てただけで、真実は何も分からない(「意味はあるけどわからない」)ということを知る、受け入れるのが悪魔のパスだった。わからないけど囲ってみる。流転に抗ってみる。そんな原罪を受け入れる。

囲っては形作ろうとするホドへ、ネツァクの強烈な光線が注がれる、塔のパス。右脳と左脳をつなぐ重要な道。火星が対応するそうだけど、ルーラーとしての性質から考えて(♈と♏)、「膜を突き破る」イメージだなと理解。

 

・ホドが干渉しない、ネツァクとイエソドの間にあるパスは無制限だ。ホドが挟まらないから。星のカードは、自由、浄化。太陽が照らしてフレーミングする前の、まだ無限の可能性を持つもの。かたちに受肉する前の普遍性であり、空間を超越する♒。Fish Hookのよろこび。

 

・マルクトにあらわれるすべては自分のシャドウである。物が語り始めるのを感じるとき=ネツァクとマルクトを結ぶ、月のパス、♓。反対の、ホドとマルクトを結ぶのは審判のパス、知性が物に語りかけ、物にいのちを宿すとき。

そして最後にエーテルレベルで調整され、イエソドからマルクトへ流れていく、世界のパス。完全性、カンペキネスを知る。HereもThereも変わらない。

 

生命の樹の3つの三角形は、それぞれが「真・善・美」に対応するのかもしれない。

 

・ダートやそこにある深淵のヴェールのことを、わたしは「わからないもの」と深刻にとらえすぎていたみたい。「君は生きているうちも、もちろん死んでからも、君についている目を君の目で見ることはできないだろう? それと同じことだ。ヴェールも、その存在を知る反射的なものでしか認識することはできない。そしてその反射で起きることは、教えた通りだよ」。ヘミシンクで、「え、これがアパーチャー?」という不思議で奇妙な体験をした。(あれは深淵ではなくパロケトのヴェールの方かもしれないけど・・・)

 

・この宇宙は遊園地なもので、地球はメリーゴーラウンドかな、という例え話を思いついた。

 

・「目の前の人が最愛の推しだったら」というのを実践し続けよう。話を聞く。受け入れる。許す。愛をもって注意をしたり。よろこびが増えるように。互いが常に良い意図を持てるように。エゴの誇示も敵意も消えていく。

 

・ひとつの現実に終着させるマルクト。広がっていくアイディアやイマジネーションが、散逸しないように書き留める。釘を打ち込む。

たえまなく流れるエネルギー、意図、愛を、毎瞬間「ここに存在すること」に変換している。たった一人の「花嫁」を毎瞬間娶っている。マルクト、マルクト、マルクト……