アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年6月の日記 ~イギリス旅行、無条件の愛のテスト、ステップアップ

 

・いろいろな世界線にいた自分が一堂に会して収束したような、そんな旅行だった。

本当に、夢の中のような、夢でみた瞬間がぴたっと一致するような、デジャヴとも違う不思議な感覚、心地よさ。冷たく澄んだ空気、青空と木漏れ日、鳥のさえずりと薔薇の香り。どの道も、どんなに歩き疲れても、あなたがそばにいて。蝶や鳥の励まし。明晰になった瞬間必ずすぐに見つかる蜘蛛の巣。朝の光線とホテルのグレーのコンクリートの天井、ピンクとクリーム色のバイカラーの壁紙に、深緑のラインが映える。白い光は夕方には黄金色に変わる。ころころとしたかわいらしい雲は、西洋の絵画で見るそのまま。

 

・視覚的な情報を超えて、概念を感じることが多かった。高い鉄骨と行き交う人々。「この駅はこんな機能」そんなふうに認識することで類型化が起きる。「ウラジオストクはしょぼい高田馬場だった」と言った友人はおとめ座おとめ座は分類、組織化、概念のあてはめ、視覚、世界への着地点。未知を既知に変換する機能。神話もこんな感じで語られるのだろうと思った。I analyze. 世界を覚知する瞬間にゲシュタルトが構成される。水星から世界に入る。

 

・今思ったけど、西欧は特に↑の機能が強いのかも?恐怖が強いともいえる。人種を分けてあらかじめイメージをしておくこと、その「型」を相手に押し付けて安心すること。LGBTQとか言って無理に分類しようとするのも、恐怖(異物)に対処しようとした結果な気がする。でもいくらパターンを作成してもそこからはみ出すものが無限に生まれ続ける。そのいたちごっこ自体が「悪魔」という感じがする。恐怖とその対処のための枠組み、制限。逆五芒星や23の数字が表すもの。異界から呼び出す未知と、呼び出して顕現した瞬間にもう型にあてはめられた死物であるということの葛藤。ルシファーとアーリマンは常にセットで「悪魔」。陰陽分けの2と物質界の3・・・

とにかくモーエンさんも書いていたけど、西洋の人は頭までレンガ造りというのは本当だね。そして、「土星を大きくすることで」未知や恐怖に対処しようとする。どんなに大きくしたところで土星土星だから限界があるのに。「外側」が存在する限りワンネスの愛にはたどりつかないのに。そして未知への恐怖は結果的に免疫過剰を招く。

土星を大きくする発想がもろ世界政府だし超監視社会。あらかじめパターン化した異物を学習しておくというのもワクチンの考え方そのもの。

 

・自分が恐怖を喚起する存在だったんだなと感じる。デビッド・リンチ裕木奈江に感じたものを自分の内側に発見する面白さ。日常の中に入り込んだ異物は、意識としては排除しようとするのが自然なわけで、あえてそのままにしておくことはストレスを生む。集合無意識がどうなっているのかは容易に想像がつくように思う。

 

・それから集合無意識自体が抱えているアイデンティティとそのシャドウ。「自分たちは○○であることを誇りに思っている」=○○でないことは許せない、そういう自分ではありたくない!ということ。そこから生じる抗えない嫌悪感。異民族、異文化というものに対してシャドウを感じないわけないんだよな。

だから、差別や争いの悲劇は、この「エゴ=アイデンティティへのこだわりによるシャドウ拒絶の心」と、「異物に対する意識の排除機能・恐怖に対する免疫暴走」の2つの合わせ技で生まれるんだ。

 

・そういう中で少しでも相手に安心感を与えるためには、既知のパターンを演じてあげるのが一番有効。ヤバタンが「典型的な」白人のオーバーリアクションをするのも同じことだし。安心=人気につながる、月欠損の話。。外国でウケの良い日本人もそういうこと。型が決まらないと売れない、という土星のトランジットの話にも。わかりにくいもの=未知、は大衆には排除される。

 

・異物感というのは語る/語られるためにも重要なファクターだと思った。はじめからそこにあるものはそもそも認識されない。持っていなかったもの、失い忘れ去ったもの・・・そういうものを異物として認識するからこそ語ることができるようになる。輪郭を切り取ることができる。1が2になった意味。

 

・無条件の愛を実践するという意味でも、まさかの裕木奈江追体験だった。アランプライスの生き方はやっぱり好きだ。とても高次元的に感じるし、本当に面白い。好きだ。何を言っているのかほとんどわからないのに、まるでセピア色のフィルムが上映されるみたいに、何か情景が心に浮かんで、若い頃のアランさんがそこにいる。引き込まれた。一生に一度でいいからあの語りを聴きたいと思っていた夢が叶った。もちろん演奏もだけど。楽しそうな姿を見れてよかった。。大音量の音楽の圧力はわたしのエゴを隅々までクラッシュしつくす儀式のようだった。

 

・「自由で独立した相手の存在を完全に受け入れ愛しています。」そう思えるようになって大きく変わった。その人の世界で、その人の感じ方によって、その人の反応が生じているだけ。

愛の泉はずっと定位置にあって、誰かに備え付けられているものでもなければ、毒水になってしまうものでもない。そのことを腹の底からわかったら、何かが大きく変化した。

 

・レールをすごい勢いで敷いていくグルミットのように、毎瞬間を創造している。天との共同想像はまさにダンス。リードしてもらっている。感謝であふれる。自覚を持って、愛をもって、これからも一緒に、共に踊っていたい。

 

・かなり疲れていても明晰でいられることがわかった。

 

・天秤座のバランスを意識した結果、完全なバランスという概念は不可能とわかる。「それならばむしろ牡羊座でいけ」というのはヘリオとしてもそうだし、わたしの「美意識」が「木漏れ日にある」というところから、わたし木漏れ日になる=まさに牡羊座7度のシンボル。美と調和を体現しよう。

 

・火星の蟹座の共鳴はエゴよりずっと大きなところで起きる。体の外側、周縁で、半ば無自覚に発生している感じがした。

 

・瞑想というものによくわからないコンプレックスがあったのと同じように、エキゾチックやカオスを体験するという意味での「バックパッカー」的な旅にもコンプレックスがあった。けど、自分にもその体験が必要だという考え自体が思い込みだった。

 

・地球に来たのは美を知るためだったけど、人類をやってみることにした理由は人間に関心が持てないからだったらしい。人間存在の美しさを知り、愛を深めようと思って人間の輪廻(?)に入ったということ・・・?真面目かよww 万物に関心を持たなければ!愛し祝福を贈らなければ!という変な義務感があるのはこれのせい?というか昔からそうだったということ?まだわからない。でも関心のないものには関心がなくていいのだ、ということも今回学ぶべきことのひとつな気がする。

 

・水鳥のつくる水紋を見て、人間の在り方も同じだなあと感じる。ただ生きているだけで広がっていく水紋。

 

・物事だけでなく対人でも明晰の感覚が重要だというのは以前も書いたけど、そこからさらに進んだ。わたしはその他人の世界の「物語」に対して、「知覚者」として受け入れることが必要なんだ!他人の世界の中で語られる他人の物語に、「解釈者」は口を挟まない。最低限の翻訳しかしない。重要なこと(わたしが習得すべきこと)はヘミシンクでもコミュニケーションでも同じだった…

 

・人の素敵なところを文章にして褒めるということをしていたら、すべての人たちに対して「あなたは完全です!!存在しているだけで素晴らしいのです!!!」という気持ちになったww そういうエネルギーを常に目の前にいる人に投げかけ続けることができたら、それこそヒーラーのひとつの形かもしれない。

これまで、「人類意識」になることはあったし、人類ならきっと大丈夫という信頼感とか、博愛・感謝は持っていたけど、「存在しているだけで最高なんだよ!!」「めっちゃすごいよ!!!」みたいな感覚は初めてだ。感謝のもう一段階上という感じもする。無条件の感謝、賛美、愛。

 

・このマンデラ改変でずっと疑問だったことがついに解決した!【現象化=今ここ】には、過去は本当に存在しないんだ!

世界線というものが過去の積み重ねでできているとずっと思っていたけど、それが間違いだった。「法」とか「ダルマ」というものがわかっていなかったのと表裏だった。「法」というものが存在する場はどこか別にあって、そこから情報を引き出すようにして今この瞬間の現象界が作られる。で、多分この、「法」から「物」にするプロセスの部分が壊れて(?)いる、その部分にパラサイトか何かわからないけど、妙な介入がある。でもたぶん、「法」自体は損なわれることなくどこかにあるんじゃないか・・・と思いたいw

とにかく、「法」はどこかの世界の過去にあるわけではなくて、そもそも過去は存在しないのだと、よくわかった。

 

・「法」という考え方をしたら、意図・動機がすべてであり細かい部分は神さまにお委ねするということの大切さもより深く理解できる。利他や愛、美といった目的を持つ「法」を、その都度現象界で生成しなおす=最適な形に自動調整される→これが「パラレルシフト」にもつながっていくのでは?

逆に「法」を全く意識せずにひたすら物質支配にこだわる場合、それはパラレルに持ち越されないんじゃないか。

 

・自分の大アルカナ考察を読み返して、【正義】のカードがまさに「法」のことを言っていてハッとした。「これまでの選択の結果、今がある」。当時芹沢さんに「選ぶかどうかはともかく見る」と言われたことや、パラレルセルフのこともわかってきた。

 

・月の自動思考のパターンで「あのときもっとこう言っていたら・・・」とかありがちだったけど、そんな会話パターンのささいな違いなんて(「法」のレベルじゃない場合は特に)いくつもあるパラレルにいくらでも存在してるしな・・・という気持ちになった。

 

・一卵性双生児は経験による知恵をシェアできるから得だよね~という発言をきいて、パラレルセルフにアクセスしているのってそれみたいな感じだなと思った。夢での体験も。

 

・改めて「意図と行動を一致させること」の重要性を実感してる。そして、タロットとかより先に本来するべきことは、深呼吸して目を閉じて、世界そのものを生んでいると思いだすこと。感じること。意図の方向に世界がつくられていく。

 

・「魔術」という言葉はまだ苦手だけど、タロットその他のことを考えてみると(大我にとって当然のことでも)小我が「感嘆」するところに意味がある気がした。新たな叡智を流し込む感覚も。

 

・わたしには恥の感情が強くあると知って、いろいろ考えてみたら、甘えることや受け取ること、純真であること、子供らしくあることを強く否定しているせいだとわかった。恥を感じることすらも恥ずかしいので、怒りで覆い隠していた。甘えたい自分、純粋で幼い自分を徹底的に締め出していた。そしてそういう自分(隠したもの)をさらけだせる場所が欲しいから、月=帰る場所が必要という発想にもなってた。そもそも隠したり武装したりする必要が本当にあるのか?と指摘されるまで気づかなかった。

 

・月は安心でありホラー。偽物の、切り離されたフィルム、都合よく編集され不完全な中でリピートされる仮想世界。元のオリジナルから分化されちぎられ隔絶されている、衛星。

 

・お風呂の中や寝るときに、ブログに書けそうな文章や、誰かに考察したことを解説しているような語りが延々と流れることがあるけど、それも一種の自動思考ライドじゃんと気づいてちょっとへこんだ。二念を継ぐありさまは、ラジオやテレビのように。

 

・均衡感覚が明晰の入り口というのを再確認する。やっぱり天王星海王星やぎ座と関係あるのか?