アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2020年12月の日記 ~黒い真空の壺の自分。脳の記憶と魂の記憶の違いなど

 

・創造が怖かった、責任を負うことが怖かった。だけど、私の行いで誰かを苦しめてしまっても、その苦しみが誰かのよろこびにつながっていくのかもしれず、それは誰も・・・脳の予測では知りえないことだ。一挙手一投足そのものに毎瞬間真心を込めることができれば、あとはすべて、御心のままに。「誤り」をあとから決めるのは脳みそでしかない。「誤り」など存在しない。

 

・予測自体は生命としての私を守るものだから大事だ。「こうしたらこうなるだろう。けれどもそうならなくてもよい」そういうスタンスでありたい。

 

・ショッキング・・・私の根深い攘夷思想は過去世に繋がっているみたいだ。他者は大切なものを破壊しに来る、予測のできない怖い存在であるという潜在意識。入植と侵略に対する怒りと嘆き、そして自責。

 

・分かり合えないから分かり合いたいし、分かり合えなくても許し合えることが信頼関係だと思った。

 

・「一瞬」をつかみつづける集中力こそが「永遠」のカギを握る。愛と祈りを贈るとき、その「点」だけをとらえる、幸せ。

 

・すべてのことは「やってもいいし、やらなくてもいい」完全に自由だと確信するようになった。

 

・10日間以上片づけをがんばった・・・昔のものをいろいろ見たけど、他人の人生を見ているような感覚のときと、「うわぁ~~」と恥ずかしいような自分を感じるときと両方あった。

 

・自分の嘘や矛盾が見抜けるようになってきた。ヘドロのような認めたくない本音を受け入れる強さを得た。今ここの嘘だけでなく、過去の嘘を暴く作業に突入したけど、けっこう骨が折れる。ルールに翻弄される自分を見つめる作業。そして暴いた嘘の下には・・・真実があるのかと思いきや、「何もなかった」。ついに何もなかった。ヘドロすらない・・・空っぽ・・・。

 

・いろいろと執着が減り嘘も減ると、いきなりびっくりするようなことが心に浮かんだりする。「推しのどこが良いんだ?」とかw 今はすごい好きだけど、それが心に浮かんだ瞬間は心からどうでもよかった。今まではそれらの瞬間をすべて否定し、「好きなはずだ、どうでもいいわけない」と、嘘で取り繕ってきたから・・・本当に大変だったな。自分に正直に生きるというのがこんなに大変だとは。みんな知っているんだろうか。

 

・芹沢さん*1と一緒に時を遡っていく。小学生以前になってくるとなかなか受け入れがたくて苦しい。「そのまま、そのまま」と唱えながら、4次元を遠くまで歩いていく。

偽物の記憶がわかる。わかるというか、芹沢さんが教えてくれるんだけど。偽物を取り払っていくと、全部夢の中のようにあいまいで、夢だったのかなという気がしてくる。「自分で言ってたじゃないですか、握りしめても手の中に残るものはなにもないって」と言われた。たしかに。

 

・昔の自分を見つめると・・・壺の中が深く黒々としていて洞窟のようだ。洞窟の中にいるような音がする。それで黒い真空に吐き気を感じていると、芹沢さんが「今もそうですよ」と言う。そっか・・・目の前に広がる暗闇を見ながら、「そうか、これがわたし・・・」としみじみする。墨汁でもヘドロでもない、真空。

 

・最近は夢日記もつけていないのに夢の印象が残りやすい。なんとなく記憶の仕組み、脳と魂の違いのようなものが分かってきた気がする。出来事として「こんなことがあった」と再構成すると、もうその時点で脳が介入した偽物になる。

何の脈略もなく、どこなのか、場面のつながりも何もなく、断続的な2秒くらいの映像のツギハギが、夢、それがたぶん魂の記憶の原本のような・・・脳のルールを取り払うとこんなにも自由なのか。量子ってこんな感じなのかな。

 

 

*1:守護霊の名前