アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2020年11月の日記 ~サードアイが開くころ?肉体への違和感と、感謝に溢れる日々のこと

 

・未完成はエネルギーを生む。完成させたいという動きが生まれる。そのエネルギーは愛ではないのに、しばしば取り違える。

 

・あらゆる物事に対して「こうあるべき」という考えが消え去ったら、未来に向かっていた感覚も薄れてきてしまった。欠損を見出して欲を生み出し、動きへと結び付けて生きてきたのに、今この瞬間が完全だと知るようになると動く気がそがれる。

 

マンデラ効果のおかげで認識に加えるものが増えた。「あんなところに(以前はなかったはずの)標識がある」。以前存在していたかどうかはどうでもよくて、認識したその瞬間だけ出現する。記憶しようと力むのではなく、そんな風に観察すると魂の記憶が増えるのかもしれない。

 

・完成のみを求めることは「うずまき」を否定すること。完成の先、無限の移ろいを受け入れるなら、完成は停止ではなく一瞬という永遠になる。

 

・すべての衝動に対応する必要はない。動くためのヒントの一つに過ぎない。完成のみに向かっていく衝動は自らが創造神であることを忘れさせてしまう。保存、停止、完成にばかり囚われる兄さん。花が枯れることまで受け入れたうえで花を愛でることができるかどうか。

 

・推しがかわいすぎて、どうして人類は男と女に分かれているのだろうと考え始め、神は最初から欠損=創造の源を与えているのでは、というところに思い至った。スタートを切らせるためなんだ。女好きの男も、女装したい男も、根っこは同じで欠損を埋めて完成を求めているだけ。

 

・自分は本来完成しているということを思い出す以外、この世界のパズル地獄から抜け出す方法はない。誰かと関わることで未完成に退行してしまうのをなんとかしたい・・・誰と関わろうとも関係なく、完成された自分を維持できる領域に達したい。そして自由に自分の意志で創造する勇気を。

完成の自覚を保ったまま情熱を感じることができたら、それこそが本当に自分の人生を生きるということだと思う。衝動に振り回されるでもなく、創造を忘れた堕天使となるでもなく。何の不足を感じることなく、すべてを受け入れながら。

 

・4か月くらい前に進路に関して振り切ったことで第5チャクラあたりの不調が改善してだいぶ元気になったけど、最近は第6チャクラあたりの不調が続いている・・・なんか眉間を誰かに押されているような、うじうじするような変な感じがする。

 

・「今この瞬間のために今日までの人生があった」と、何の変哲もない毎瞬間、心から満ち足りた思いになる。○○だから幸せ、となにかにフォーカスする必要などなくて、その感情・感覚にしがみつく必要もない。幸せは時の流れそのもの。

そこにある満ち足りた心だけを感じると、そのことによって良いことばかりが思い起こされる。順序が逆だったんだということがわかった。

 

・握りしめても手に残るものはなにもなく、物体も記憶も私は何も持てない。こんな幸せな気分もいつか忘れてしまうし、DNAが書き換えられて私は私ではなくなってしまうかもしれない、そもそもいつか脳は死ぬ。それでも神の粒だけは永遠だ。すべては神の粒でできている。だからすべて永遠だ。私が私でなくなっても、わたしは永遠だ。

 

・今日はとてつもない失敗をした。たぶん前だったらとても不機嫌になっていたと思うけど、今日はなんともなかった。別人になったようだ。この世界はわたしが楽しむために作った暇つぶしのためのゲームだから、という考え方が板についてきた。

 

・自分の肉体への違和感が出てきた。体調ではなく、この体は「器」という感覚がかなり強くなってきた。器に愛着はあって、メンテナンスもするけど、これはわたしではない、というか・・・。

 

・自分だと思っていた自分が自分ではなかった。「動いている自分を観察する」ようになってから、今まで自分だと思っていた存在は観察対象になった。そうすると自分を自分ではない者のように愛するようになった。「かわいいね、元気でいてね」みたいな。

自己愛の性質が変わった。言い換えれば、自分以外のあらゆる存在を自分と同じように愛せるようになったということかもしれない。自他の区別のない愛。

自分は役者で、小道具と同じようにそこに配置されて存在している。偶然そこを舞う蝶、偶然そこに咲いている花と同じように、偶然そこに居合わせた私がいる。ほんのひととき、そこに居合わせる。蝶は去り花は枯れる。それ自体が幸せ、それを感じているわたしは、配置された私とは別のところにいる。

 

・よく星を見て「過去の光を見ているんだ」というセリフがあるけど、現実も全部、知覚の時点で過去なんだよなあ。目の前の風に揺れる葉っぱでさえ過去。

 

・感謝の気持ちで心があふれている。今日までの日常を作ってくれた人たち、神々。わたしを存在させてくれたご先祖さま、彼らを守ってくれた精霊たち。今日が幸せな一日になるように祈ってくれた、匿名の素敵な人。

 

・時の移ろいを受け入れたら、これから嵐がくることも、いつか通り過ぎるから恐れなくなった。そのときは苦しいけど永遠ではない。苦しみをわざわざ取り出して観察する必要はない。

むしろ魂は自由でどこにでも行けるのに、生命としての私が苦しんでいるとき、いつも寄り添ってくれているんだ。

 

・許しを請う前に、自分が自分を受け入れる(許す)必要がある。自分で自分を受け入れていないのに他人にかわりに許してもらおう、受け入れてもらおうとするのはおかしい。