アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2021年1月の日記 ~無気力とエンパスと過去世の記憶に悩む日々、「戻ってきた」ような感覚

 

・自分の嘘や矛盾がわかるようになっただけじゃなく、他人の嘘や矛盾にも気が付くようになってしまったかもしれない・・・いつにもまして人づきあいがつらい。本人が本人に対して嘘をついているのをみるのは楽しくない。まともに取り合う気も起きない。一人でやっててほしいのに、自分の嘘を自分で信じるために私を証人として利用してくる。私がかつて他人にやってきたことだから、カルマと思って受け入れるしかないか。

 

・人といると自分の嘘ごまかしが多くなるのもしんどい。気を遣いすぎるせいもある。自覚がワンテンポ以上遅れる。嘘に対する違和感だけを感じるので、無駄に張り切ってさらなる嘘で固めてしまう。一通り話した後に、「ごめん遡って20分くらいの話は全部忘れて」っていうわけにもいかないし困る。

 

・過去にさかのぼって自分を見つめたことで、なにか外的な情報から人間の魂の行く末を判断することは不可能に近いとわかったw そうだとすると、パートナーとか関わる人に何かの条件を求めることは無意味だ。

 

・呆れるほど無気力だ・・・何でもできると何もする気になれない。結果が怖くて何もできない時期が去ってみたらなにかできるかと思ってたけど違った。

結果どうでもよく、それ自体によろこびのあることをしていたい。結果に落ち込んだり腹が立つことがってもいい、どうせすべて儚い夢、消えていくもの。でも一瞬は永遠でもある、大切にしていたい。無気力でも善でありたい。

 

・なぜだか、目に映るものすべてが懐かしい感じがする。イライラしても、不快なにおいをかいでも、何もかもが愛しい。感情が動き、欲が出ること自体が面白い。どう考えてももう以前の自分ではないようだ、なんだかさみしい・・・。

 

・「器」の役割の偉大さを知った・・・重要なのは中身を満たすものだけど、それだけを見て器をなくしたら、雨に向かって口を開けるのと同じで乾きは潤わない。器は必要だった。

 

・器が必要なだけじゃなく、器に対する強い「好き」という感情が大事だということを教えてもらった。そういうことなら、言霊の器にも同じことが言えるかもしれない。

 

・これは自分の欲望であるという確たる感覚が鍵だ。その感覚をつかめば主体性を持てる。鏡の部屋の中で実像と虚像を見分けるような感じ。そうか、実像が動けば虚像も動かせるのか。*1

 

・突然懐かしさを感じるようになったライチの味、なぜかずっと耳に残っているガビチョウの鳴き声。心に思い浮かぶ香りのイメージを探し当てたらロータスだった。全部の起源が同じような地域、中国南部や東南アジア。その地域には迫害、争い、難民のキーワードが並ぶ少数民族が多く存在していることを知った。

 

・ただ奪われていく様を見ている・・・守る「結果」ではなく守る「行為」そのものによろこびを見出していればよいんだろうか。どうせ守れないから何もしないんじゃなく、守れなかったとしてもただ守りたいから守るっていう。なにもかも、そういうことだという気がする。いつかは死ぬけど、生きる。死ぬと知っているけど、生きる。虚しさの超越。

 

・やりたいことを探していたのは間違いだった。外側にやりたいことを探すことは、自分を喜ばそうとしているのではなく、喜ばせてもらおうとしている。目的も原因もいらず、意志さえあれば、認識次第で目の前のことがやりたいことになるんだ。というか、常にやりたいことを選択している。それでいいじゃん。動き回らず寝ているだけの生き物だからって、観察が疎かになっていたんだ・・・。

 

・喜ばせてもらおうとする人のことは喜ばせることなどできない。そこに意志がない限り、外からはどうにもできない。

 

・またひどい頭痛と吐き気に襲われた・・・「汝の敵を愛せよ」という意味がわかったかもしれない。好きになれということではなく、拒絶せずに受容するということかなと。ただひたすら起きることを直視して受け止める。

体を壊すとつい原因や法則を見つけようとしてしまうけど、本当のところはわかるはずもない。脳の考えるような法則とは関係なく「うずまき」は存在しているし、だからこそ奇跡も起きる。ただ受容あるのみ。

 

*1:当時はまだエンパス、逆エンパスという概念を知らなかった