【皇帝】まで書いたので、【教皇】以降に進む。
【皇帝】の記事はこちら↓
5. The Hierophant 教皇
【教皇】はタロット占いを独学で始めたころ、よくわからなくて困った苦手なカードだった。
【皇帝】まではイメージしやすかったのに、なんだかいきなり「モラル」とか「恩師」とか出てきて、独学で始めたころはまだ小学生だったのもあって余計に理解が難しかった。
ここでは占い的な意味ではなく霊的成長の図としてタロットを見るので、【教皇】が示しているのは「規範」ということに尽きる。
模範、お手本。道しるべ。(また、それに対する従順さ。)
キリストやブッダの言葉とかが代表的なそれにあたる。
私が2年くらい前に引きこもって内面の思索を始めたころ、いろいろな「気づき」(この言葉好きじゃないけど…)があって、
「私は天才かもしれない!!みんなにも教えてあげよう!!」
と思っていた…(笑)
だけどそれはすぐに、今までこの世界に登場したあらゆる人に既に発見されていたことがわかった。
聖人たちの言葉の中に、私が発見した真理(?)がたくさん書かれていた。
なーーーんだ。私が無知だっただけかよ!!!!
と思ったけど、この落胆は筋違いだった。
そもそも、自分で「それがそういう意味だ」と理解するまでは、同じ言葉を読んでも意味をなさない。
わかったつもりになっているだけで、なにもわかっていない。
例えるなら、旅行のガイドブックを読んでも旅行に行ったことにはならないのと同じ。
聖人たちの言葉や生き方は霊的成長のガイドブックだ。
この観光地に行くとこんな景色が見られますよ、という前情報があると、いざ目にしたときに「おお、これがあの有名な○○か。」となる。
逆に、訪れたことのある場所のガイドブックを読むと「あ~~そうそう、これね」という感じになり、記憶も呼び起こされたりする。
それが【教皇】のカードの意味。
ガイドブックはたくさんあっても困らないから、誰かが既に言っているとしても自分の言葉で表現するのは大事だね。
12感覚であてはめるなら5番目はしし座で熱感覚。
しし座の支配星は太陽で、そこで変わらずに光り続けているという意味で道しるべ・模範というイメージとつながる。
手本となる人が先に太陽となってくれて、その熱を伝えてもらうという感じ。
ろうそくの火を分け与えるような。
(私にとってはアラン・プライスが【教皇】ですね☆笑)
それと、もうひとつここでカギになるのは、【教皇】は自分の外側の存在ということ。これが【隠者】との対比となる。【隠者】は心の中に直接語りかけてくる、内側の存在。
物質界に生まれてきて自分がゲーム内のキャラクターだと思い込んでいるときに、案内してくれる村人Aみたいなのは、自分以外の存在として認識される。その人は外側にいる。
(本当は村人Aのこともゲーム作った方の自分=創造神が作っているんだけど。)
一方の【隠者】は、ゲームの中にはいない。プレイヤー自身が今ゲームをしているということを思い出し始めると気が付く、ソファで隣に座っているような存在。
いわゆる守護霊が自分の心の中にチームメンバーとして共にいて、【隠者】の役をしてくれる。
6. The Lovers 恋人
【恋人】は6番目のカード。1+2+3で表せる。
つまり、精子と卵子が出会って受精卵になるプロセスを導くカード。
セックスだ~!(いきなりなんなんだ・・・)
いや、包み隠さず言って、性欲は大事。つまりプロセスを導くための引力、恋。
1→2→3というプロセスで見た通り、宇宙はある種の性欲でできている。表現に抵抗があるとするならそれは言葉がまとう俗世的なイメージのせい。
性欲は肉体的な衝動を超えた宇宙のエネルギーを含んでいて、霊的成長に欠かせない。
スピリットとしての自我を忘れてしまった人類が霊的な道に気が付くために一番簡単な入口、それが性欲でありセックスという体験だと思う。
理屈を超えた動機付け。
土星の枠を超えさせる。境界を越えたいと思わせる。
愛(受容)と支配(介入)を結びつける。男性性と女性性の統合の第一歩。
生きることは世界と交わること。
世界に自分という存在を受け入れてもらう(男性側)。(♂・牡羊座・自我感覚)
そして世界が自分にもたらしてくるものを受け入れる(女性側)。(♀・牡牛座/天秤座・思考感覚/触覚)
意図して、結果を観察する。創造して、結果を受け入れる。
世界に感動して、賛美する。感じて、表現する。
その繰り返しだから、要するにセックスと同じ。
そしてセックスするからには愛をもっていたいよねということで。
世界を愛しているから、私は生きている。この世界にお邪魔している。観測地点のピンを差し込んでいる。
そして、世界が私を愛してくれていると信じている。だから、次に何が起きるのかドキドキしながら、毎瞬間ありのままの世界を受け入れている。
だからね。死にたいとか、消えたくなっちゃうときというのは、イン・・・ぽ・・・(やめろ)。
・・・。
これがわかると、このあとの【吊るされた男】とかで出てくる「恍惚とした表情」というのの理解も深まる気がする。
スピリチュアルな探求をすればエクスタシスという言葉に必ず出会う。
(数秘術でも6は愛の数字だったね、そういえば。)
12感覚の6番目はおとめ座、視覚。これもあまり指摘されていないけど、まさに「生きることは世界との交わり」っていう話で。
見るという行為は、そこに自らの世界を作り出す行為であると同時に、世界を受け入れる行為でもある。
そこにあると思ったものしか見えない、というのはよくあること。
探し物をしていて「ないないないない~どこ~」と思っているうちは見つからない。
「ここにあるはずなんだよ!」ブチギレると、さっきまでなかったはずのところに見つかったりする。
逆もまた真実。To see is to believe っていうやつ。
そこにあると認識することは、そこにあることを許している=受け入れているということになる。
いじめの悪質なやつは無視だし、過干渉にしろ虐待にしろ、話をきいてもらえないというのは一番きつい。
また『タロットの書』によれば、マルセイユタロットの方の絵柄は「選択」を表しているとのこと。
これは【皇帝】や【教皇】で示された枠組みにただ従うのではなく、かといって【女帝】の本能むきだしというわけでもなく、「自分の意志で」選択するということを示している。
フロイト的にいうなら【女帝】がイド、【皇帝】(と【教皇】)が超自我で、【恋人】において自我が生まれてくるというイメージ。
おめでとう自我。はっぴばーすでー♪
7. The Chariot 戦車
次の【戦車】で、上のフロイト的な自我が完全に発達した状態が描かれる。
白と黒の馬(スフィンクス)=イドと超自我 という二元性を上手にコントロールする御者の姿。
【戦車】の7という数は3+4で、まさしく【女帝】+【皇帝】。
7という数は合理的知性、言語、定義による支配という一連の意味を持つらしい。これは【皇帝】の記事で書いた土星らしさもある。概念の枠組み。
(土星は占星術では月から数えて7番目の天体だね。関係あるか知らんけど)
というわけで【戦車】は土星以内の「惑星意識」の頂点(限界)と言える。
ほとんどの人が考える「自分は何者か」というのは惑星意識。
でも実際にはタロットカードは22枚あってまだ(【愚者】を入れても)8枚目でしかないので、霊的成長の観点からは超未熟。
惑星意識についてもうちょっと補足。。
たとえば肉体の中の自分(顕在意識)は、「一人旅に行きたい!」と思っているとする。
しかし、仕事の日程が詰まって全然休みがとれなくて、やっととれた休みの日は友達が「旅行に行くなら一緒に行こうよ」と言ってくる。
このとき、「私は一人旅に行きたいのに!もうッ!うまくいかない!」と思っているなら、その人は惑星意識。
普通はそう。
でも霊的な世界、霊的な自我からみると、まったく違う。
そもそも仕事の日程が詰まるのも自分が引き起こしているし、「一緒に行こう」と言ってくる人も自分の一部だからだ。
これが、次の段の【節制】で現れる全惑星意識。
自分が引き起こしている自覚があれば工夫する余地がある。けど、自分の外側の手が届かないものと思い込んだらそれまで。
なので、【戦車】のレベルではまだ、惑星としてやっと一人前になったというだけ。
この社会を生きていくにはそれで十分で、そこまでの人がたくさんいる。別に悪いことでもない。その段階をやりきるのが大事。
占星術でも各惑星には「年齢域」というのがつけられていて、「35歳くらいから45歳くらいまでは一般的に火星の意識ですね~」みたいなのが普通に語られている。
だけど一つの惑星を生きるのは、ぐるぐる繰り返すばかりでつまらない。
惑星意識と全惑星意識については、私はオーケストラに例える。
肉体としての自分は楽器。まずはひとつずつ楽器を上手に弾きこなせるようになるのが大事で、それが【戦車】までに示される道。
このあと続くのは、指揮者としての自分を発見するプロセス。
自分は一つの楽器を演奏しながらも、同時にほかの楽器が奏でる音にも耳を傾け、ハーモニーを生み出すことを意図する。全惑星意識というのはそんなイメージ。
どうすればそうなれるのか、というのが【力】以降のカードで示される。
12感覚の7番目は天秤座の触覚で、触ることはこの世界における自己存在を確かめる行為といえる。視覚同様に、自他を区別する。
牡羊座の春分点から世界に飛び込んだ自我は、おとめ座と天秤座の間の秋分点を底にして、全ての源流(魚座方面)にまた回帰していく、と松村さんは説明していた。
そういう意味でも、【恋人】と【戦車】はこの世界にねじ込んだ(誕生した)自我のひとつのゴールと言えそうだ。
8. Strength 力
まえおき。
【力】を8番目にするのはウェイトのライダー版で、マルセイユタロットでは【正義】が8番目だけど、私が読んだ『タロットの書』ではウィエトに準拠していたのでここでもそうする。けど、実際【正義】と【力】は入れ替えられると思う。カインとラスティカね(←完全に覚書)。
【力】は【戦車】までに抑圧されていた内なる自己の解放がテーマ。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい』という本があるけど、まさにその話。
アーティストとしての人生の始まり。創造神としての自己を取り戻す道。
そこにあるのは、プロセスが喜びに満ちたものとなることへの「確信」と、生きることそのものへの「愛」!
「自分の内なる力でどうにかできる」という自分自身への強い信頼、湧き上がる穏やかな情熱、芯の強さ。
【皇帝】の干渉やルール作りとは違う、創造するパワー。
【皇帝】の場合は、恐怖の源を否定する。見たくないという拒絶から始まる。
恐いものを見ないためにはどうしたらいいか?という感じで考える。最初に想定しておきたい、という感じ。
【力】では、恐怖を先に「受け入れる」。受け入れてから、そのあとにどうとでもできる、という感じ。あらかじめ想定なんかしない。
ペットボトルがいきなり犬になったら怖いけど、
「そっか、犬になったんだねー。のどが渇いたからペットボトルに戻ってもらえる?無理なら、水があるところを教えて」
と頼めば良い。そんな感じ(笑)
自分の意志をもって創造していく。
やっぱり女性的な柔軟さ、受容による強さを感じる。【力】でまた女性が描かれているのも頷ける。
この【皇帝】と【力】の対比は、サビアンシンボルでいうならさそり座15度と16度の関係にもよく似ている。
「5つの砂山の周りで遊ぶ子供たち」と「笑いだす少女」だ。
(そうそう、8番目は生命感覚、さそり座ね!)
これはすたくろさんの解説がすごく良いのでメモ。
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