アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

大アルカナに示された霊spiritへの道(5)

13. Death 死

【吊るされた男】で意識が世界に溶け出した最後にあるのは、エゴの死

これはエゴにとっては相当な恐怖で、なかなか死んでくれない(笑)

というか、この【死】の恐怖が強すぎるあまり、世界に溶けだしていくこと自体が怖くてそもそも【吊るされた男】の境地になれない、ということは多いと思う。

だから【吊るされた男】のプロセスを踏むには、先に恐怖を受け入れて【死】を迎え入れる準備が必要。

生まれてから今まで培ってきた人格、自分を守るために作ったペルソナ、一生懸命学んだ3次元ルール、それらすべてを明け渡すというのは相当に勇気がいる。

【死】なのに、自殺する人ほどこれができないのが皮肉なところ。(自分のルールや人格を明け渡すことができるなら苦しみからも解放される。だから自殺なんてする必要がなくなる。)

 

ちなみに、ものすごく非情に聞こえるだろうけど、苦しんでいる人のほとんどは苦しみたいから苦しんでいる。地球にて「これが苦しみである」というルールを学んで、そのルールにしがみついているだけの、ただのエゴ。

「これがないとダメなんだ」と認識している限り、「それがないとダメ」な状態は変わらない。あらゆる苦しみは「条件付け」によって発生している。

 

私は10代のころから「世界に溶け出していくのが怖い」と言っていた。

「何かつかまるものがほしい」とも。

何も知らないで、【死】が意味する恐怖そのものの表現を口にしていた。

多感な時期には霊感も強まるのか、少し気を抜くと自分は自分じゃなくなってしまうと感じていた。

そんなときの「命綱」が欲しかった。これに掴まっておけば激流でも大丈夫という、岸辺の枝のような…

あるいは、浮き上がってしまうのを防ぐための錨、Anchor。

何に掴まるかはその都度変わっていったけど、つい最近までこの癖は抜けなかった。

浮きたいと言いながら錨が下りている矛盾に苦しんだ。

 

それほど仰々しく恐れていたことが、実は愛する存在(=世界)とひとつになることだったなんて(笑)ほんとウケる(笑)ウブかよ(??)

 

他にもエゴの抵抗の常套手段として、なにかしら悩みを見つけてきて悶々と悩むというのがある。

何に悩んでいるのかわからないような漠然とした不安感があるときは、実は「悟り」に最も近づいているときだったりする。

何か欠けているはずだ!とエゴが騒ぐことで、自分がそのままで完全であるという本来の宇宙の在り方からわざと離れていこうとする。

(追記:3次元に捕まえておく作用の月がこれを担うみたい。月欠損理論!)

 

【死】のプロセスのたどり方はいろいろな人がいる。

「ようはなんでもいい」の梅津さんは、たしかアラスカで一人で何日も過ごしているときに、エゴの自分と「愛」の自分の交代劇を経験している。

nandemoii.com

他にも、実話(をもとにした)漫画「パラダイムシフト」や「腹を切って死のうとした話」が、自殺未遂という疑似的な【死】を経て新しい自分となる経緯をありありと描いている。

ameblo.jp

note.com

本当に死んでしまうかもしれないので自殺未遂はおすすめしないけど。。

 

そういうわけで【死】のあとには新しい人格というか、本来の「愛」でできた自分が出現してくる。(最初からずっとそこにいたんだけどね・・・。)

「私は器であり、神様をお乗せしている」という自覚を持つ。

その「神様」に主導権を交代する。そういうイメージ。

 

14. Temperance 節制

【死】を経て新しく出現した自分の有様こそ、全惑星意識にあたる(と私は思っている)。

7の【戦車】が惑星意識の完成で、14の【節制】が全惑星意識の完成

【節制】はそれ自体「異なるものを混ぜ合わせる」という意味合いを持つけど、全惑星意識も、異なる主張を持つ惑星を調停する。

それこそ、オーケストラの指揮者。

人は生まれ落ちた瞬間、奏でることのできる音色やメロディーがある程度決まる。(これがホロスコープチャートに示される。)

そこで、メロディーは変えられないとしても、どのフレーズをどれくらい繰り返すか?

扱いにくい音色同士をどのように調和させるか?

どうすれば全体的に美しく仕上がるか?

そこに演奏する側&指揮する側の腕とセンスが問われる

(それこそがメンタル体、スピリットの役割だと思う。)

 

この意識を持つと、『タロットの書』にあるように

「人生で起こるすべての問題によろこびをもって対処していく」在り方となる。

【死】のあとの【節制】は、嵐の後の虹。

レイチェル・ポラックは「さなぎのあとに蝶に羽化する」という例えも使っている。

 

【節制】まで来ると、現実の世界、人生に戻っていく。

【隠者】から始まった引きこもり生活を続ける必要がなくなる。

下界がワイワイしていても、「究極的にはすべてが自分である」という自然な感覚で受け入れられるようになる。

なかなか難しいけどね・・・普通にイライラすることもあるし、理不尽は理不尽。

だけど「理不尽な思いをする主人公」「イライラしている人」という役を演じているような、どこかにメタ視点がある。

最近は変な夢を見ていても、明晰夢ではなくても、「そこに絶え間なく流れているなにか」を感じられることが多くなってきた。

夢の中でどんなに焦ろうが、後悔しようが、何をしていようとも、内容を超えて心地よいという不思議な感覚。それがあると、内容がヘンテコでも覚えていなくても、起きたときになんともいえない充足感が残る。

夢と現実はパラレル、フラクタルだと思うので、こんな感じで生きていたら死んだとき(夢から醒めたとき)、何をしていたか思い出せなくても充足感があるんじゃないかな、なんて思う。

ゲームキャラに没入しすぎず、プレイヤーとしての自分を忘れない。

敵にぼこぼこにされてゲームオーバーになったとしても、「あ~ゲーム楽しかったなー」って。

(さすがにぼこぼこにされてたら「楽しかったなー」とはならないかな^^;)

 

メタ意識は観察者とも言い換えられる。夢を見ているとき、自分を上から見ているようなやつ。

すべてを見届けて、恐怖も傷も取り除こうとせず、そのまま祝福して賛美する。

 

・・・そんなの無理!!

 

いえいえ、そこで「笑い飛ばす」という技が生きてくる。

「黒に対する特異的転倒」というやつ。

ずっと好きな記事↓

indeep.jp

 

皮肉な歌詞を幸せそうに歌うアラン・プライス。

こうありたい。語り部感、まさにメタ意識。

 

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【節制】まで来たらひとまず十分!って思う。

さらに霊的な高みを目指すとなると、【悪魔】【塔】【月】と不穏なカードが目白押し。

それでも魂は成長を止めない・・・その先にあるものを目指して・・・ッ(かっこつけてるのかよ)

 

 


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