アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

大アルカナに示された霊spiritへの道(4)

9. The Hermit 隠者

【隠者】がまず表すのは内省の大切さ。

騒がしい外界から一旦身を引いて、内側に焦点を当てる。そうしないことには全惑星意識にたどり着かない。

【力】で見出した自分の中の創造神の片鱗、「愛」や「確信」という感覚をもっと育てる時間が必要だ。

9番目はいて座で、運動感覚。いて座は一般的に探求を表すし、運動というのは呼びかけられた方に引っ張られるイメージだと松村さんは書いている。

内側からの声に引かれて、自己の内部へ入っていく感じ。

 

自分に向き合うと最初に出会うのは、おそらくインナーチャイルドみたいな存在。多くのスピリチュアルワークでもおなじみ。

それは既に【力】のカードでライオンとして表されている。

インナーチャイルド=ライオンの欲望を抑圧するのではなく、かといって放っといて暴れさせるのでもなく、愛をもって接する、そんな姿が【力】に描かれている。

そしてその次に出会うのが【隠者】、つまり守護霊とかガイドとか言われる存在。

(ただしこの順番は例外もあると思う。インナーチャイルドの傷度合いによっては先にガイドの手引きが必要な場合も。)

【隠者】がランタンを掲げているように、彼らは霊的世界の導き手となってくれる。

内なる道しるべ。【教皇】は外側、【隠者】は内側というのはそういうこと。

 

私が引きこもって最初にしたことは過去の棚卸しだった。

ガイドと一緒に過去に一歩ずつ遡っていくと、偽物の記憶がたくさんあった。

というか、これらは偽物ですよ、とその人が教えてくれた。

偽物というのは、事実ではないという意味ではなく、脳が作り上げた保管用の記憶、言語化された記憶ということ。

対する本物の記憶は、出来事として整理されたものではなく、何の脈略もない断続的な、2秒くらいの映像のつぎはぎみたいなもの。デビッド・リンチの映像作品さながら。

これなんだっけ?いつのこと?どこだ? とか思っているうちに消える。

脳のルールを取り払うとこんなにも自由なのか!と驚いた。

これが量子ってやつかな、みたいな(てきとう)。

そうして偽物の記憶を取り除いていくと、

「過去に起きたことは全部夢だったのかな」

という感じがした。夢で昔見たような気がする、というのと区別がつかない。

そのときガイドとした会話は印象的だった。

「自分で言ってたじゃないですか。握りしめても手の中に残るものは何もないって」。

そして昔の自分を見つめていると、深く黒々とした真空の壺みたいだなと思った。

それが次の【運命の輪】につながっていく。

 

10.  Wheel of Fortune 運命の輪

内省を続けていくと、インナーチャイルド、ガイドの次に見つかるのがこの【運命の輪】。

スピリチュアル的な用語で言うなら、トータルセルフ、大いなる自己。

これは【女帝】を自己の内側に見出した状態とも。

動的な宇宙が自分の中にあるのを知る

ヘミシンクの用語で言うなら【運命の輪】はフォーカス15だ(と思う)。

インナーチャイルドとはフォーカス10で向き合いやすく、ガイドとの交信が始まるのはフォーカス12というところからも、ヘミシンクでもこの順でプロセスが進むことがわかる。)

 

過去の自分を見つめて「深く黒々とした真空の壺」を感じている時に、「今もそうですよ」とガイドの彼が言った。

目の前に広がる暗闇を見て、洞窟のような音を聴いて、「そうか、これが私か」と思った。これは去年のお正月頃の話。

ヘミシンク(先月始めた)の「5つの質問」で「私は何者なのか?」というのがあったけど、そのときには黒い円盤と白い光がその下に放射状に落ちているのを見た。

そのときは「なんじゃこりゃ?」と思ったけど、あとから「あっ あれじゃん!黒い壺!」と気づいた(笑)

ブルース・モーエンも似たような「回転するディスク」を見たと言っていて、ヘミシンク創始者のロバート・モンローも同じものの話をしていたそう。

【運命の輪】がそれのことだ、というのは私が勝手にそう思っているだけなんだけど。。。

 

あと、私が引きこもるようになって最初に気づいたことは、

「この世界に意味を求めすぎてた。意味はないんだ!! いや、あるけど、わからないだけだ。」

というもの。

己の無知を認めるみたいなやつ。

「理不尽なことが許せない!理不尽を放置している神なんてクソ!!だから神はいない!!」という考えからは本当に大きな転換だった。

「意味はあるけどわからない」というのは、「神はいるけど、その考えは私ごときにはわからない」というのと似た感じ。

こう考えることでいったんエゴを脇に押しやった。

これも【運命の輪】が象徴していることに近いかなと思う。

「流転する」ということだけが事実で、それがどのように起きているのかは(まだ)わからないという段階。

このカードでは四隅の神々もコミック調にデフォルメされている。つまり【世界】はまだ概念としてしか存在していないけれど、一応それっぽいものはわかってきたということ。

 

宇宙がすべて霊的につながっているというのも、この辺りからなんとなく理解できてくる。「理屈はわからないけど、そうなんだな…」という感覚。

シンクロニシティが起きてくるのもこれ。見えない糸でネットワークができているような感じになってくる。

 

11. Justice 正義

【運命の輪】の黒い壺をみた後くらいから、たまに明晰夢をみるようになった。

この【正義】はまさに明晰夢の感覚のことらしい。レイチェル・ポラックはそういう表現をしていなかったけど、多分同じだと思う。

(「明晰の感覚」に関して共感を得られたためしがないので知らんけど。。)

明晰夢ではない普通の夢では、次々起きる現象に対してただ反応していくだけだ。

起きてから「なんなんだよ!?」「こうすればよかったのに」「そもそも夢なんだからさぁ…」と思うようなことも、夢の中では普通におこなってしまう。しかも一生懸命考えたつもりだったりする。

明晰夢で「これは夢だ」と気が付くと、自由になる。「何をしようかな」という余裕と発想が生まれてくる。

【正義】が表しているのは、そんな自らの意志に基づく意識的な行動。

 

そして自分が行動した結果を観察する。

ドアを開けたら外に出る、という当たり前のことでも、明晰夢では貴重で豊かな経験だ。

それは自分の行動に責任を負うことにつながる。

ドアを開けたら怪物がいるかもしれないけど、受け入れるしかない。

(そのときはまたそこで考えよう、というのはやはり【力】のカードと通じている。だから【力】と【正義】は入れ替えてもOKと思う。)

行動選択、自由、責任、これらはすべて【正義】のカードの含意。

 

また、【正義】を理解すると過去をそのまま受け入れられるようになる。

これまでの選択の結果として今がある、と心から認識する。自分がどのように作られてきたのか。淡々と認識して受け入れる。

【運命の輪】的な視点からみると、過去世、カルマまで俯瞰することになる。

自分がしてきたことが、今の自分(世界)を作り上げるということ。

【正義】のカードに描かれた天秤は、過去に積み上げられたカルマと、未来に解消されるべきカルマが同量であることを示している。

つまり、テストに受からないと同じ追試を受け続けるということ・・・。

「運命は神様からの質問状」。

その仕組みを受け入れてこそ、これからは自分の意志に基づいて、

責任をもって自分のストーリーを作り上げていこう、という気持ちになれる。

自分のことをより愛せるような行動選択をしよう、と心に決める。

ここでようやくプレイヤーが自覚をもってリモコンを握るようになる。

それまではゲームに没入しすぎて、キャラクターになりきっている。襲い来る敵と戦うので精一杯、疲労困憊、繰り返されたパターンが自動化されてしまう。悪夢。

 

やっぱり引きこもる【隠者】タイムは大事。

「こんな夢をみたいんだったか?」と常に自問する姿勢を忘れないようにしたい。

仮に忘れてまた没入しちゃったとしても、せめて先生たちからの呼び鈴の音には気づけるようにしたい。

私が眠り始めて、道を外れはじめたとき(昔のパターンを繰り返し始めたとき)、先生たちは疑問を投げかけてくれる。

 

12. The Hanged Man 吊るされた男

12感覚の最後は魚座で、味覚。私たちは何かを口に入れて味わうことで、外の世界のものと自分を一体化する。

同じく12番目の【吊るされた男】は「世界に溶け出していく」段階。

味わって、うっとりする。世界と交わり、恍惚とする。

 

魚座の反対側のおとめ座=視覚は、ここ!と指をさす、ルーペを覗く、フォーカスしてピントを合わせること。

筋肉は緊張して、世界はハッキリ、クッキリして、他は見えなくなる。

これが物質界の私たちの通常運転。概念を分類し、組織化し、認識する。

対する味覚=魚座は、支配星が海王星であるように、ぼんやりピンボケ。筋肉を緩めて、リラックスした状態。

どんなスピリチュアルな修行法でも必ずリラックス状態が必要なのはこういうこと。

今見えているフレーム、レイヤーから、ずれたレイヤーにピントをずらすには一度フォーカスを緩めなければいけない。

完全に緩めると(カメラ用語で言うならリングを∞方向に回し続けてオーバーインフすると)、どこにもピントが合わなくてすべてが一体に溶けているようになる。

これがエクスタシス。

ムスビ。

【吊るされた男】の、後光が差している状態。

12は、陰と陽がひとつに同居した、両性具有の最初の段階でもある。

(その完成版が【世界】の21。ここではまだ、一人静かに引きこもっているときにしかこの感覚が現れない。動きながらもこの感覚が得られるようになるのが【世界】で、私たちはそれを目指している!)

 

【吊るされた男】の感覚を別の表現で言うなら、遠い昔に離れ離れになってしまった愛する存在をやっと思い出したような感じだ。

その存在は、私の愛するすべてとなって私の前にあらわれてくれる。音となり、風となり、光となり、味となって。

この体の動き一つにも、そこに愛する存在がいるという不思議な感覚。

「私が」体を動かしているのではなく、愛する存在が「私を」動かしている、それを私はただ感じている。

肉体は私ではない。私の意識は点のように極小化する。そうするとこの体は世界の一部として溶け出していく。

溶けていく。

溶けていく。

意識と世界はひとつ、同じものでできていると気が付く。

「自分はどこにでもいる」ことを知る。

意識は極小化した挙句、極大化、無限に広がる。

レイチェル・ポラックは「自然と深くつながる」と表現している。

 

ちなみに意識と世界の区別がなくなると、「求める」という概念がなくなる。

「求める」のは「ない」ことにフォーカスするのと同じで、虚しさを作る。

「ある」ことを知れば最初から「ある」。完全に満たされた状態。

仏教では仙人は堕落であるとして否定するけど、これはある意味当たり前で。

仙人というのはアストラル体で、そこで成長を止めた存在。アストラル体は「欲」であり、「1つになりたい」と言いながら2つであり続け、満ち欠けを繰り返す。

 

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