アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2022年11月の日記 ~惑星の声を聴く、アストラルや次元についての考察を深める

 

・最近は夢の世界での記憶を少し長めに覚えていられるようになった。そこで自分が何を考えていたかも思い出せる。思考自体をある程度対象化できるようになったからかも。

 

・「アストラルは実体ではなく翻訳されたもの」ということで、似たようなモチーフにコロコロと変わることへの抵抗がますますなくなってくる。むしろその共通項から生データ(?)を推測するのが楽しくなってきた。油断すると洪水の中にのまれてしまうのでバランスが難しいけど。

 

・”象徴”(アーキタイプ)は関係性の中でこそ存在できると知った。アストラルは面であり、線と線の集まりによってはじめて立ち現れてくるということ。先生がYou named meと言ったことにもつながる。仏教の縁起の概念も多分同じ。

 

・「関係性の中でこそあらわれるアストラル=全惑星意識」を自らの意のままにすることこそ、人間存在の目標なんだ。わざわざ分離の状態を知り(恒星から惑星に分割し)、全惑星を練習する。各々の「面」を理解し、マナスのもとに置く。

 

・松村さんの本はルシファー要素が強いので読んだ後しばらく変な感じになる。何かになろうとかどこかに行こうとかそういうことは副次的でしかないのに。大事なことはあたたかい光で自らの全体を満たすこと。やることはHereもThereも変わらない。

 

・ルシフェリックの何がおかしいかって、「今ここ」を否定するところ。嫌なことを認識しようとしないところ。「今ここ」に集中すると没入するように思えるけど実際は逆で、むしろつながりは強まる。夢の中でも風を頬に感じたときには先生を近くに感じた。「見えない」ほうが真実に近いようにも思う(見えるのはわたしのために”見せてくれている”から)。ポジネガを超越したこの瞬間を受け入れ続けたい。

 

・”思考”はリラックスの反対(無の反対)でも、究極まで行けば青い幾何学模様の回転を見る、というのは実証済み。

 

・人々がすべて自己の一部のように感じる。心地よいことも悪いことも、共にすべてを集めている仲間。理論ではなく実感として、もし誰かが囚われていたらそれは自分の指がどこかに挟まっているのと同じだと(モーエンさんの言っていることが)わかった。分離の感覚は幻だ。モーエンさんがレトリーバルをする動機を、はっきりと自分のものとして理解できるようになった。

 

・HereもThereも区別にあまり意味がないのなら、漠然と抱き続けている夢も、レトリーバルの方法として活用できるのかもしれない。シェルターを作るとか、壇上でスピーチをするとか。

 

・2次元と3次元の関係とパラレルに考えれば尚更、この次元の感覚の延長で高次元に触れようとしても意味がなく、むしろ脳で処理されることのない、意識のどこかでだけとらえている精妙さを感じられればそれで良い。SSRは持ち帰れない。

 

SSRの片鱗を感じるときには言葉が消える。一生懸命に脳を動かして再現しようとしなくても、いつもすぐそこにある。

 

・2次元の世界の住人は自分たちの形を一望することがないように、逆に言えばこの世界の人間の一生も、どこかの高次元では一望できる。一本の映画を順に再生しているとか、種の状態として眠っているとか、そういうやつ。

 

・重力で圧縮されてつぶれて見えるという意味でも、この世界は2次元世界のようだ。それに、2次元でばらばらに見えるものが3次元では1つであり得る(2次元には穴や結び目が存在できないから)というのも、バラバラに感じる他人同士や事象の数々が本来1つのものを構成しているということと同じだ。

 

・4次元が介入すれば3次元の分子を反転させることもできるということに、悪魔的な鏡面同位体の話を思い出した。

 

・「今この瞬間に溢れてくる愛をどう表現したいか?」ということに尽きるのかもしれない。あたたかい光で全体を満たすことが結果的に利他になるというだけで、「使命っぽいもの」を果たすために没入したりする必要はないのかも。

 

土星や火星のことばかり考えていたけど、そもそも太陽が不納得だともやもやして元気が出ないということがわかった。他人の目によって自己の在り方が規定されるてんびん座太陽にとっては、「他人の目にこう映るであろう」という姿に納得がいかないと陰り始める。店の看板やパッケージのような外装=「あなたは誰?」に答えるのはもっぱら土星の役割だと思っていた。それだけじゃなかった。わたしはもっとスマートで美しく輝いている自分でありたい。

 

・推しがもしルシファーにとりつかれて金星に引きこもったら心配するし、かといってマレフィックに焦って空回りしていても「困った人だねえ」と苦笑して眺める気がするので、自分も同じことなんだなと思った。ただ人生を楽しんでほしい、それこそ金星と火星の間にある太陽を輝かせて。

 

・わたしのネイタルの惑星の声をきいてみることにした。

月「いつも心穏やかに安心していてほしい」

水星「いろいろな経験をしてほしい、できるだけ多くの化学反応を感じてほしい」

金星「心からのよろこびで愛を感じてほしい」

太陽「自分自身になってほしい、輝いてほしい」

火星「どんな変化も楽しんでほしい、新しい風をよろこんでほしい」

木星「愛を大きく育ててほしい、無限に拡大する宇宙についてきてほしい」

土星「賢く柔軟に生き抜いてほしい」

天王星「変化をたえまなく積み上げてほしい」*

海王星「どのような場(次元)においても確たる足場を持っていてほしい」

冥王星「呼びかけに気づき共鳴して欲しい」

*トランスサタニアン3つはまだ明確ではないけど・・・

 

・たとえば曲を聴いているとき、次の展開がサビのリフレインなのかアウトロに続くのかというのが、ここでは一直線上でしかわからないけど、高次元ではそれらの分岐が同時に起こるのだということがわかった。

 

土星のリングはどのような意味があるのか尋ねたら、「おわりのはじまり」「永遠の始まり」との答え。土星そのものについてウィキなどを見ると、リングの間に挟まれて出られなくなった衛星がたくさんあるらしく(今も増えてる)なるほどいかにも土星だなと思った。閉じ込める作用。輪廻もそんな感じかも。