アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年10月前半の日記 ~すべてを楽しもうという気概、歪んだ月の自己認識

 

・「こうしたいという願いを叶えたいのに、こうしなければならないと考えてしまっている」というパターン。そこを目指さないと/そうあるべきだ みたいに、力んでしまう。別にそんな力を入れなくても、自分がただ好きこのんでそっちに向かおうと思っているだけのこと。よく”Easy”と言われるのはこれもある。。いつでもその気楽さを忘れずにいたい。初心=意図にかえれば、方法=ルートはいくらでもある。

 

・「意図が同じなら同じものが実現される」というのは、機会を見送ってもより良い形で改めてやってくるということでもあるなと思った。「望んだかたちになるまであきらめない」と書いてきたのも同じこと。「チャンスを逃す」というのがとても怖くて、愚者の逆位置になりやすいから。。あくまでもクリエイターも主人公もわたしで、「こうしたい」と心から思うこととつながり、結果を引き受ける(すべて楽しむ)という気概がすべてだ。

 

・ほうじ茶ラテのどこか懐かしくて優しい味を、膝の上で飲んでいるような幸せ。励ましに来てくれるアオスジアゲハ。いつもデートしていることを思い出しては笑顔がこぼれる。

 

・単純な好奇心として、人間関係のすれ違い(典型的なトラブルの原因になる、承諾範囲の誤認とか)が一体どうして発生するのかが知りたくて、事例を観察するために実務を学ぶのは面白いかもと思えてきた。それこそ以前は、自分がそれを解決しなくてはならないんだという思い込み、気負いがあったから勝手に苦しくなっていたけど、今はその天秤座に見せかけた蟹座の月を手放したから。今なら本当に、目指してきた語り部になれるかもしれない。とても遠くから見ている、観察するだけの人。観察した結果を述べるだけで良かったりするのかもしれない。

前は人の話をきくとその人の次元に合ってしまうから嫌だと言ってきたけど、月の共振を使わなくていいのだから、何のストレスもない。やっぱり悩みはすべて月が生むのか。。

 

・1→2で世界を生んで、3で観客席、4でコントロールのために改めてステージへ入っていく、という話だけど、人類を表す5は配役、キャスティングでもあるのかなとふと思った。鋳型を示す【教皇】。そして生まれる「選択」と「関係性」というドラマが、愛の数と言われる6で【恋人】。そして成熟する個我の中で再度(フラクタルに)生じる陰陽が7。いったん7で小宇宙が完結するということ・・・?

 

・やっぱり月は「まだ不十分」という感覚をもたらす気がする。「十分できている」と自分を許して解放しよう。そしてそれは、ネイタル月の近くの火星にも波及しているんじゃないかと。火星のエネルギーを月が吸ってしまう、しかもそうやって吸ったことで月が「自分は火星らしさがある」と思い込む。月の誤った自己認識。いつも「あなたは女性的だよ?」と言われては戸惑っていたけど、つまり自分ではとても男性的(火星)と思っていたし、どこかで「そうでなければいけない(だってそれこそが自分らしさだから)」と感じていたということ。実はそここそが欠損していて(というか月が吸ってしまって、月のモノマネ状態ではあくまでも偽物という意味)、わたしは本当は全然喧嘩も強くないし、闘争的でもないんだ。。自分では得意なつもりでも、一番未発達な部分。。幼い頃の自己イメージにとらわれることの怖さ。。

 

・ちなみに検察に憧れていたのも「体育会系の組織」とはまさに蟹座(&やぎ座)で、特に熱さのある一体感というのはもろ蟹座の領域なのだとわかり、ぞわぞわ・・・!!一貫しすぎ。

 

・「自分にとって必要なものだけを残し、あとは手放す」と2月に書いたとき、どこでも生きていける足場になるような、テントセットのようなもの、とひとつ書いていた。「月の安心」も。月と土星、つまりは蟹座と山羊座の要素なんだと今更ながら気づいた。情緒的な安心感をセルフでどこでも得られるという月=蟹座の力。そしてこの世界(ゲームシナリオ内)でなんとかやっていける、肉体を存続させられる足場を作れる土星山羊座の力。

どこでも生きていける山羊座というのは、視点を変えれば「サレンダー」だ。エゴではなく無私の奉仕に身を任せれば、結果として神につかわれ、ゲームシナリオ内での立場が与えられる。

 

・蟹座山羊座が「テントセット」ならば、おうし座さそり座は「一瞬は永遠」。この瞬間の豊かさを享受するおうし座。どこまでも深い愛による確信、エクスタシスのさそり座。見えるものと見えないもの。

 

おとめ座うお座は「夢を感じる」。目の前の”現実”に愛を注ぐ乙女座はピントの機能、つまり明晰さ。着地。魚座はすべてが溶け合うオールOKの世界、夢見の感覚。

 

・前半の牡牛・蟹・乙女はいわゆる「グラウンディング」を、後半の蠍・山羊・魚は「バクティ」を表していることにも気づく。個我視点か宇宙視点かということ。

 

・それから面白いと思ったのが、3つの宮の分類で、活動宮はゲームを「する」よろこび(参入=活動のよろこび)、固定宮は「待っていると湧き出る」愛やよろこび、柔軟宮はゲーム内で「動いているときに感じる」愛やよろこびと言えるのかなということ。

 

・水の反映が土なら、火の反映が風。「ここにいたくている」という牡羊座の意図、そして生じる天秤座の陰陽分け(1と7)。成長のよろこびのいて座、未知への好奇心のふたご座。信頼と行動動機を示す獅子座、創造的な解決力・応用力をもたらす水瓶座

 

・どこでも安心の月=蟹座、どこでもサバイバル/サレンダーの土星山羊座ということで、星座と惑星の対応を改めて考えた。

双子と乙女はどちらも「観察者=カメラ」=水星だ。牡牛と天秤は色ガラスの部分、「演者」。特定の個性を持った演者がそのフィルターを通して感じ、考える(アドリブする)ことで「彩り」を加える重要性。しし座=太陽が確固たる自己信頼をもたらし、牡羊=火星がベクトル;どこかに向かっていくという、言ってみれば「抱きたい」という想い、情熱をもたらす。射手=木星は成長意欲、「どこまでも拡大するあなたに、わたしもついていきたい」という想い。水瓶=天王星はまさにタロットでいう【塔】のようなクリエイティブな発想。魚=海王星はその先の【星】の世界のよう。蠍=冥王星は「見えない世界への誘い」=【悪魔】、あるいは「見えない世界からの来訪」=【月】か。「見えない世界での変容」=【死】でも良いかも。

(そう考えると【死】の次の【節制】で新たな自分として世界に改めて戻っていく=射手座につながり、次の山羊が枠線上の【悪魔】で水瓶【塔】魚【星】ときれいに順番がつながるね)

 

・なんにせよ、「わたしに本当に必要なもの」とその都度リストアップして抽象的に書き連ねてきたことが、全惑星意識の獲得と同じことだったんだとわかって感動。

 

・以前大アルカナの考察をしていたころ、【審判】のカードがよくわかっていなかったけど、これこそが「火を土に」そのものだと気づいた。絵柄そのままだ。

 

・あと以前はこのブログにも山羊座土星と【皇帝】を結びつけて書き続けていたけど、「コントロール」は必ずしも山羊座土星に限らないんだとわかってきた。。

牡羊座=火星は「抱きたい」想い:抱き寄せたい、もっと感じたい、握りしめたい、という根源的男性性。【女帝】に対してそう思う【皇帝】のシンボルは牡羊座で良い。

それから数も、「4でコントロールのために入っていく」というのなら、牡羊1と牡牛2で生んで双子3で観察し、蟹4でそこに「入っていく」というのもしっくりくる。改めて参入する=活動宮だし、安心安定の枠組み、囲いを作る、パターナリズムという意味では蟹座でも十分その意味があるじゃないか、と・・・!要するに「干渉」。

(むしろ蟹座の要素を山羊座にすべて押し付けて考えてたんだとわかった;)

ちなみに次の獅子5は、1~4すべての要素をもって誕生する人類=個我=エゴ=太陽=第3チャクラ。

 

・わたしはわたしに対してとても不誠実なのだとやっと理解した。。甘いものを食べることも、人間関係での対応も、誰のことも裏切っているつもりなんてなかったのに、自分が一番裏切られて悲しんでいるのだと知った。「ノリで」「その場の雰囲気で」「流されて」、自分との約束を守れない。一番大切なのはわたし=あなただというのに!あなたを裏切り続けていた・・・ごめんなさい。

 

・母が最近よく「捨てるという判断ができない、判断力の欠如」という言葉を唱えながら(そうなるまいという自戒を込めて)片づけをしている様子を見かけるのだけど、わたしは実は「物ではなく人間関係で」捨てるという判断ができないという人なんだと思った。

引っ越しのように大掛かりなことをしてやっと「仕方ないね」と物を捨てられるように、アカウントを消したり蒸発したりしないと大整理ができない。そうではなく、ふだんから、ある意味モノと同じようにバサバサと「捨てて」「身軽で」いようと決意。。

 

・人生はトランプゲームのようだなと思った。ゲームを進めるには「山」からカードを引いて手札に加えなくちゃいけない。ときには隣の人からも「引く」。そうしてカルマが増えていく。ある程度の札が揃ってくると「役」ができて、出す(流す、捨てる)ことができるようになる。次にどの札を引くことになるかわからないので、方針(意図)が決まらないうちはどの手札も捨てがたくなり、余計に手札の枚数が増えていってしまう。手札がなくなれば「アガリ」。人生そのもののようで面白い。そういう面でも、今余計に持っている手札は早めに出して(捨てて)、身軽になっておかないといけないと思った。

 

・「自分を養うために自分で稼げるようにならなくちゃ」という、比較的恐怖ベースの動機から、「人に与えられる余裕のある人になりたいから、やっぱり稼げた方がいいな」という愛やよろこびの発想に変わってきた。

以前はそれにすらも、「母を助ける」というような蟹座の縛り(使命感)があったと思うけど、そういうことでもなく。真に自由に、使途を決められる。受け取ること、与えること、生きていくこと…また新しい人生のテーマに向き合っていく。

 

・牡牛座要素がこの1年で満たされたので、次は乙女座と山羊座をやっていきたいとも思う。日々の実践あるのみ。これまでのわたしはもういないのだから、人間関係もまったく新しい方法で築いていける。「愛を投げかける」「知覚者コミュニケーション」「投影の理解」など今こそ実践するときだ。

 

・学歴や資格を持っていることに対するこだわりや執着がなくなった。今まではそういったものの価値をディスりながら、まだ自分を構成するものとしてこだわり続けていたけど、今は心の底からどうでもよくなった。「それがなくても生きていける」という状態になった。その要素が仮に自分から消え去っても、自分は自分であるという確固とした感覚。

 

・同時に、年齢や若さに対する妙なこだわり(恐れ・他人へのジャッジ)もなくせた。「年齢のわりに成熟している」ということをアイデンティティとしていたけど、それはつまり自分のよう自制への言い訳、免罪符がほしかっただけなんだ。「まだ若いのだから未熟な部分があっても許されたい」という強い甘え、恐怖。幼児性を受け入れて克服してしまえば、特に言い訳する必要もなくなって、年齢にすがらなくても大丈夫になるんだ。

 

・異様に甘いものが食べたくなるのは幼児性の表れでもあるかもしれない・・・

 

・「何も探しにいかない」「すべてはここにある」というのを脳の回路にまで完全に定着させるにはまだ時間が必要。それでも客観的に「思考依存状態」を認識することはますますできるようになってきて、今までどれほど「時の流れ」ばかりを感じようとしてきたかが良く分かった。自分のストーリーを語りたがる。長いものも短いものも。今日は何をしたのか、明日は何をするのか、そんなことばかり。

(今気づいたけど、父も元彼もそういうことばかりきいてきてウザイと思ってたのに、まさに自分がそうだったのねw やっぱ全部投影だな)