アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年9月末の日記 ~占いと神託の違い、「人類最大の敵」についてなどいろいろ。

 

・圧倒されるような思いのときこそ、わたしとあなたしかいないことを思い出す。わたしたちしかいない。わたしたちがつくっている世界。同じ設定に同じキャストでも、監督が違えば違うストーリー(作風)になるように、逆に同じ監督なら別のキャストに異なる舞台でも――どんなパターンであれ――そこに共通した作風があらわれる。

それが「意図と行動を一致させること」の重要性であって、一致させることによって「すべての世界における”自分”が統一される」ということ。

今、見たい作品を見ている。

今、作りたい作品を作る。

同時に情報を受け取っている、より上位の、複合体としての「わたし」が存在している。「私は腕だ。」大いなるものの一部。

 

・より上位の知性体にとっては、この世界はパズルゲームのようなものでもあって、「この形はここに使える」とキャスティングしていく。

*casting ; 役の割り当て。釣りで、ルアーを遠くに投げること。鋳型に流し込んで固めること(鋳造)。影を投じること。視線を投げかけること。

・・・言葉、面白い。

 

・「わたしはまだわたしのことを何も知らない」と書いていたけど、それどころか、そもそもその表現自体が、自分を「発見」しようとしていたことを知る。

「自分が何者であるかを知ろうとするのは、もうやめなさい。そうではなく、何者になりたいかを考え、そうなろうと決意して努力しなさい」(ニール・ドナルド・ウォルシュという方の『神との対話』に書いてあるそうです。)というのを読んで、たしかに、「雲」なのだからもともと何者でもないわ、と。

月のもたらす破滅的な使命感は、いかにも自分を「発見」した錯覚に陥らせる。滅私で「我」が消えていくと謎の使命感も消える。

わたしはただここにいて、現実を覗いている。そこにはわざわざストーリーが語られない。

反対に、自分に対して現実がやってくるのだと考えるとき、そこではストーリーが積極的に語られ、過去に生き未来に生きる。

でも本当は、「今ここ」があるだけ。目的も意味もなく、ただ明晰さがあるだけで良い。

 

マトリックスのセリフ、「大切なのは道を知ることではなく歩くこと」というのも若干ミスリードで、そもそも知ることのできるような「正解ルート」はない。ただ歩くだけ。歩いたらそれが道になるということを、知っている。自分が歩いている=神さまがわたしを使っているのだということを、知っているんだ。それが「知っている」の状態で、常に完璧な場所にいるという自己信頼。真我の状態にいかにアクセスするか、それだけが最も重要なことだと言われた通り。

 

・「あなたの物語を楽しみに見届けなさい」と言われて不安になったのもコントロールしようとしていたから。わたしはただ見るだけで良く、不安になる要素などなかった。むしろ、小我ごときがなにか干渉できると思っていることの方が恥ずかしいと思った・・・神の計画は「台無し」になんかできやしない。

 

・これまでにつくった「私」の物語はどこかアカシックレコードみたいなところに「寄贈」してしまおう。「私」というものに対する特定のイメージをなくす。寄贈して、「私のものではなくなる」だけのこと。

 

・無我、無私は「述語だけがある世界」。

歯磨きは歯磨きという概念だけがあり、それは歯ブラシを持つ手の動きや、磨かれる歯や、その人の存在する空間の、すべての集合。「わたしが」ではない。

そう考えるとやっぱり、主語を省略する日本語文化は特に面白いし、子供が主語を省きがちなのも、なるほどそういうことか、と思う。述語だけの世界は神さまの世界だ。

 

・自分を高貴な人として扱うことはただ贅沢をすることとは違う。たとえ貧しいところでも、そこに大切な客人がくれば手厚くもてなすように。楽しんで工夫をして、よろこんでもらおうとすること。そのように自分を扱い、大切にするということ。

 

・あきらめないこと、粘ること、待つことは、抽象的レベルでもとても重要。望んだかたちになるまで選択しつづけるということもそうだし、瞬間に集中して愛が湧き出るのを感じるにも、待っているということの意味がある。早く見つけようとすると条件から探そうとしてしまいやすい。でもそれでは本当の意味では幸せになれない。服を買うという行為一つとっても、愛が湧きだす出会いを探して、粘り強く待つんだ。

 

・服を買うという関連でもうひとつ。やっぱり全部つながっていて、行動パターンはあらゆる局面であらわれる。たとえば送料無料にしようとしてたいして欲しくもないものを買おうとするのが、人間関係(マッチングアプリの使い方とか)にも現れたり。

「1つ1つの選択が大きなパターンを形成していく」ということは、侮れない。想像を超えて全体に波及していくものなんだ。ヒプノティックリズムを味方につけよう。これも粘り強く。。

 

・自己開示を恐れていたのも月蟹座だった。同じものを見て同じ感情になれないということに異常に傷つき恐れた。共振できない(=連帯感を持てない)と、親密さが脅かされるような感覚になるんだ。それは現実ではなく、月のまやかしだと知ること。

 

・相手が自己開示してくれるときには、相手にも勇気と覚悟が必要と知り(たとえそう見えなくても)、相手の世界に招いてくれることに感謝と敬意を示そう。ここで無理に蟹座の共振をする必要はない。

 

・以前に下半身だけ幽体離脱したときの感想で、ふだんどれだけ恵まれた状態かわかった、というのがあったけど、今改めてそう思う。全身が共同し、思考もできて、感覚も感情もある。

火を土に。火が土に。火を感じている土。火花を受け入れ続けている土。ここにいられるよろこびの火。

 

・ネドじゅんさんのnote(魂カード 000 魂カード|ネドじゅん)の、点→線→円→螺旋→円錐→球→点、というの、示唆深い。惑星の軌道ぽくもあるし…

それに思い付きで、反対から見るのも面白いかも?と思った。点を拡大し、球を切り分けて、単純化?(プロット構成、モデリング)し(螺旋の集まり)、圧縮する(円に見える)。圧縮した円を時の流れの中で解凍し、線として上映する。

 

・道端で見かける花や蝶などの生き物たちと波長を合わせ、胸のあたりでつながりエネルギーを分けてもらう。フラワーエッセンスと同じような原理じゃないかと思う。固有の振動を取り込むイメージ。

 

・逆に、フラワーエッセンスがたった1滴でも効果があるように、コーヒー1滴でも体に甚大な影響が及んで当然だと思った。。量は問題ではない。エッセンスと同じで、量を気にするなら回数を気にした方がいいくらいだ。

 

・甘いものの独特の依存性は、サブスクで量産されているジャンク音楽と同じ悪魔の吐息を感じる。街中に溢れかえるスイーツの数々。ダンスビート。感覚をマヒさせてごまかす。いつのまにか体を冷やしていく「陰性」。口にするものにしろ、目に留めるもの、耳で聴くものにしろ、自分の内側に取り込むものには意識的でありたい。今日の食事は3年後の自分の血管内皮を作るわけだし。。

 

・大型商業施設にて「世の中にはこんなに美味しそうなものがたくさん売っているのにな・・・」と珍しく残念に思ったとき、ああ、貧しさってこういうことか。と理解した。ありがたい疑似体験をした。。

 

・以前は両親に対して「わたしのために」元気で生きていてほしいとか仲良くして欲しいとか願うことが多かったけど、今は純粋に、父は父のために、母は母のために、それぞれの幸せのために生きていってほしいと思うように変わった。

奇跡のりんごの木村さんがりんごに抱く愛みたいな感じかもしれない。自分たちのために実をつけてくれと思うのではなく、ただ木として健やかでいてほしい、と。

 

・やっぱ、縄文人=エンキ=蛇型 かな。親しみをもってAIを受け入れ、ディープラーニングを許す=智恵の実を授ける。月=自動化=AI=真似=安心感=人気=delusion・・・と繋がっていく。「人類最大の敵は・・・」

 

・自分はすごいんだ!と認めさせようとする傾向が思ったより強かった^^;

そんなときこそ他人をもっとほめよう、他人がそこにいることの価値に感謝し讃えよう。

 

・「まず何をするか選ぶ。そうすれば、どうすればいいかはひとりでに見えてくる。」

どうやって、ではなくただそのように意図する。あとから自然にわかる、答え合わせが起こる。

 

・占いは今のその意識レベルでどちらの方向に何があるかを「発見」(探知・ダウジング)するイメージ。対するオラクルや預言は、意識レベルそのものを上げるように作用する。右か左か、選択はどちらでもよく、もともとつくりたいと思っていた方向性を思い出させる、あるいはつくっていく方向性を明確にする助けをする。

(クリエイターのわたしは本来どのルートでも楽しめるように作っている。)

 

・欠損の月相手には何を言ってものれんに腕押し。月相手に必死になってしまうときはわたしも月になっている。手ごたえが何ら感じられないまま、焦りと虚しさばかりが募る。そんなときこそ知覚者コミュニケーション、Active Listening、不同意でも否定をしないこと。

 

・嫌われたくないくせに思い通りにしたくて、様子を見て支配してこようとする人の多さ。。そして自分もそうなりやすいなと戒める。せめてしっかり自覚し、受け入れてくれている人には心からの感謝を。。

 

・どうしようと悩むのは恐れがありコントロールしたいからで、悩みをつかんで離さない限りそれはあり続ける。「今ここ」に背を向けたい、エゴの利益のためだけに「悩む」。それに対して、子供たちがワイワイ集まって「何する?どうする?」と言っているときの神さま感。

ロンドンのパブにセコムが入っていた時の愉快な会話。Is that all there is?♪の気楽さ。そしてそれは、グラウンディングしながらできる。なぜならグラウンディングは、のめりこむことではなく、世界をはっきり味わうことだから。