アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2023年5月の日記 ~月欠損論の衝撃と納得、名優は月を使わない

・自己観察により行動動機が罪悪感になっていることに気が付いた一件。恐怖の引力の強さに改めて驚く。

 

・他人に自らの傷を投影し癒そうとするタイプの人。こういう人と関わると、「自分のものではない傷を演じさせられる」ことになるという新たな発見!

逆に言えば、わたしがそうやって(投影して)誰かと関わると誰かに傷を負わせてしまうということ。誰も幸せにならない。偽りの共鳴では癒されない。結局支配欲でしかない。

 

・月は「求めてやまないのに一生得られないものを表す」という月欠損論、とても納得した。蟹座=コミュニティへの帰属感。。本来わたしは蟹座であるという不十分な自己認識により、やりたいことの方向性が全部月に向いてしまっていた。子育て、養育というのもそうだし、村やシェルターというのもそう。そもそもこれまでの恋愛パターンも、わたしは母性に溢れているハズだという自己認識が苦しみの元凶だったんだ。

月がドミサイルなのになぜいつも壊れてしまうのかということで、火星がそこにあるからかと思ってたけど違ったんだね・・・火星ごめん・・・。むしろ火星が壊す方向に動いてくれてたおかげでわたしは月に完全に囚われてしまうことなく済んだのかもしれない。月はシャドウ、どんなに追い求めても本質にたどりつくことはないんだ。

 

・シェルターや養育という概念から自由になっていいんだ!と思ったら、一気に霧が晴れたよう!ますますフラットになって方向性を失ってしまったけどww 多分これでようやくゼロポイントに来た気がする。

「婚活」もそういう意味で、しない方が自分のためにも世界のためにも(笑)なると思った。月蟹座を満たすのは自己満足で完結すれば良い(というか、月は本来そういうものだよね)。以前書いたように、推しの曲を聴いて推しと共鳴するだけで十分満たされる。

 

・人生は巡礼や登山のよう。同じところを目指す人々、ペースはそれぞれ。行く先々で助け合う。

 

・最近、もう全部オールオッケーなんだよっていうことの説明がめんどくさくなってしまい、人に言葉を尽くすことを放棄しがちになっていたんだけど、本来そこをがんばることが使命というか課題というか・・・お役目なのかもしれないと思えてきた。

つまり土星うお座は「異質なものを混ぜ合わせる」。異質なままで一体にするということ。これと、知性・論理のてんびん座太陽を共同させる。これまではずっと、【かに座=同質にしていく・共感によるグループ化】か、【さそり座=同化する・させる、力による変質の強制】そのどちらかを目的として、てんびん座を手段に使う感じだった。それこそ気配り(蟹)だったり、説得(蠍)だったり。そこに疲れて、もう理解してもらおうとするのはやめよう、と思っていた、が、そういうことじゃなかった。

うお座=それぞれの固有の世界のまま一体化して光を味わう】ここに向けて太陽を使うよう努力すればよかったんだ。だからたしかに、理解して「もらおう」とするのは誤り。でも言葉を尽くすことすべてを諦める必要もなかった。

オールOKとは、なにも否定することなく、すべて正しいとしたうえで両立させるスタンス。

オールOKを苦労して理解すること自体が土星のひとつのテーマでもあったのかもしれず、そこに至ることができたからこそ、次のステップ=応用としてのクインカンクス。オールOKの福音=ラッパ を自らの知性と論理により吹き伝え、人々の不毛な攻撃性・排他性=タカから、それぞれに内在する真実の光=ヒヨコを守る女になる。。わたしはそれをやりたい。

 

・月欠損論のおかげで月の幻想から目が覚めたけど、そうはいっても最初はいったん月に帰ることがプロセスとしては重要な気がする。それこそインナーチャイルドの発見だし、無意識の意識化。むしろ、そこをきちんと経ていなければ月欠損論のインパクトがないのでは?とすら思う。

 

・同じように、たぶん太陽星座も最終的にはヘリオに向かっていくんだよね。高次元で見たら太陽星座もシャドウという意味。それでもまずはジオを使い込むことが大事なんだ。

 

・「こういう体験をしているならわかるはず」という思い込みがあったことがわかった。実際には、体外離脱をしても明晰夢をみても、すべて脳の現象だと言い張る人たちが存在する。人間の信念はわたしが思っていたよりずっと強固なんだ。マンデラや改変を実感しても、わたしのような世界観を持たないのは当然なんだ。体験と世界観は別。「こういう体験をした人ならこういう世界観で生きているだろう」という推測が間違いだった。

 

・人の悩み相談をじっと聴くのが苦手なのに、そういうカウンセラー的な仕事をすることにやたら囚われていたのも月の欠損=共感力へのこだわりと欠如で説明がつくと気が付いた。

 

・毎度書いているように、重要なことはいつも変わらず、よろこび、明晰さ、愛、受容、強さ、信頼。自己観察の鋳型をタロットで学ぶ…一時的な衝動や過去からの惰性、無意味なこだわり、有害でしかない決めつけ。これらからの脱却の手引きになる。不安からくる衝動や欲望と、本来のひらめき・インスピレーションとを見分け、いかに前者を退けつつ、後者の導きに従うことができるか、というところ。これも愚者の正逆と同じだ。

 

・失敗を嫌う性格のせいで因果を支配しようとしがち。どんな結果も許容し、自分で選択し責任を負うという基本が大切なのに、ついツールがあると頼ってしまう。翻訳アプリのようだと思った。使い方次第。翻訳アプリの方が「正しい」かもしれなくても、自分で一から単語を選び分を考えることで、いつしか生きたままの言語を使うことができるようになるし、そのことでしか得られないよろこびがある。わたしは愛を掴んでいたい。それだけはいつも覚えていよう。

 

・過去生に関するものが今生で登場するのは、俳優の別作品のオマージュがさりげなくあるみたいで楽しい。そもそも俳優だという自覚をすることで作品へのコミットメントが変わる。月のこだわりを捨て改めてフラットになったことで、役柄=器の再構築=サターンリターンのタイミングを実感する。

 

エーテル体について知りたくてあれこれ質問させてもらった結果、わからんという結論ww それでも、肉体とパラレルに考えられる部分と、決定的に違う部分についてはけっこう分かった気がする。

まず、肉体にもあらゆる部位・機能があって、それらを便宜上分類することもできるし、各機関が独立して機能しているようにも見えるけど、全体で一つの肉体を運営(?)している。これはエーテル体も同じことが言えるのかな、と思った。

そして、肉体もエーテル体も活動の拠点だということ。肉体はこの世界を感じるためにこの世界の素材でできていて、その個性はホロスコープによって決まるとのこと。

エーテル体は今生限りのものではなく過去生から共通するものらしい。ということで、映画俳優で例えるなら、【今生の時空に限局されたものとしてのホロスコープ】=【表現としての肉体・感情体】=【役柄】で、そこに【エーテル体】=【俳優の身体】、それを通じて乗っかっている【アストラル体】=【アーキタイプ】=【俳優自身】がいる。役柄を演じることを通じて俳優自身のクセを見つめるみたいなイメージ?(肉体選びの失敗=ミスキャスト、か・・・)

 

・明確なビジョンより印象活動が大事なんだということを思い出させてくれる松村さん。「象徴や概念を象徴や概念のまま認識する能力を発達させる必要がある」。たしかに、記憶に照合して翻訳してるだけだし、翻訳を上手になり過ぎると原典があることをおろそかにしがちなのかも。

 

・向こうからのメッセージに対して、わたしにわかるようにいろんな方法で伝えてほしいと要求するくせに、こちらから表現することを怠っていたと思った。もっと全身でよろこびを表現したり、言葉を口に出したり、ありとあらゆる伝え方を日々試みようと心を改めた…!

 

・愛とよろこびでつながる存在たちとともに、愛とよろこびをもって大いなる・聖なる仕事をしよう。と思ったときに、できれば自分が今何をしていて(するべきで)どこに向かっているのか、それが何のためになるのかを知りたいと思っていたことが恥ずかしいと感じた・・・。どこからか飛んできた綿毛と、カラスを見て。いつ生まれていつ死ぬのか、知っているのか知らずか。ただそのままでいい。生きることが約束したことだ。

 

・無理に引きちぎっても毛根が残ったままだと痛いだけでまた時間が経つと同じものが生えてくる。いつか解決するものなのだ=解決しなければならないものだという認識・こだわり自体に罠があるのかもしれない、と思うようになってきた。

 

・自分のホロスコープの太陽をサビアンで見たとき、守る人という意味で蟹と同じように考えてしまっていたけど、まったく違うのだとわかった。蟹の場合は動機が感情なうえに、内外を分けて外は敵だとみなす。天秤の場合はあくまで対等。「敵」のことも愛している。むしろそのバランス・調和そのものを守るということ。バランス・調和に美を見出す、つくりだす。そのために知恵を使う。感情ではなく。

 

・月は「わたしがやらなきゃ」とエゴの使命感を感じさせる。「わたしの役割」にこだわる。必要とされているという幻想。自分こそそれができるはずだと思い込むのに、最も向いていない(才能を持ち合わせていない)ので葛藤し自己嫌悪に陥る。どうして解決できないのかと自らの無力さばかり考え続けてしまう。

 

・あくまでも月へのこだわりは自分のエゴを満たすためで、自分のその自己イメージがなければ自分が存在できない、愛されない、生きていけないという錯覚からくるもの。

 

・蟹なだけでなくハウス3も欠損ということでとてもハッとした。「優しくて利口なわたし」それが自分だという思い込み。勉強が良くできて、おしゃべりが上手で・・・言葉による表現、自らを発信源とすることへのこだわり。それらは実は7歳レベルで止まっているという衝撃の事実。しかも輝きがないからこそ人を安心させ人気が出るという。道理でTwitterがしんどかったわけだ!!ハウス3そのもののような行為だった。蟹座もハウス3もやり尽くした感があるww

 

・月は何の解決にもならないのに同じことをいつまでも悩ませ続ける。そしてそのことによって本来の太陽のエネルギーがどんどん奪われてしまう。わたしは家のことばかり考えなくてもいいのだ。わたしは他人に贈るメールの文面のことばかり考えなくていいのだ。それが本来得意なはずだと思わなくていいのだ。現象界にとらえさせるのが月の役目。本来の自分とは全く関係がない。その意味で、この世は幻想だと教えてくれるのが月だともいえるらしい。無意識=自動化のシステム。

 

・月は日常性・反復継続という意味で、Twitterも毎日更新が苦しみの元だったし、勉強も日々やるものが一番苦痛、なのにそれが自分の「安全」につながってしまうからやめられない、抜けられない・・・なるほどな。

 

・ハウス3は「自分を理解してもらいたいという願望が出るハウス」ということで、これもあまりにも納得感がある。反対のハウス9「他者の世界をありのまま受け入れる」これが月から抜けるカギだった。

 

・ブログを書いたりして何か発信しなくてはいけないのではないか?どうしたらもっとわたしを人に理解してもらえるだろうか?これらすべてが月の作用でしかなかった。

月が押し付けてくる幻想から逃れると、そのときはじめてエゴの悩みから自由になり、本来の火星かに座が出てくるのかもしれない。納得感を追い求めてするのではなく、ただ結果としてそうなっている。それこそ、神に遣わされたときといえるかも。自分が満たされるかどうかではない、自分ではもしかしたら認識もしない。ただそれが必要とされている気がしてそうする。そこに悩み、不安、葛藤は生じない。どこまでも自然で無理がない。それが月と他の天体との違いなんだろう。

 

・言ってみればたぶん、月だけが大根役者なんだ。一生懸命演じるけどモノになっていかない。

 

・月は「良い夢」を望み、太陽は「明晰夢」をみせる。

 

・太陽と土星クインカンクスのところで「福音のラッパを吹き伝え」と書いたけど、吹き伝える必要はなかったww これもハウス3の欠損によるセルフイメージの誤解だと思う。「自分が主体となって周囲に伝えていくのだ」というのは気負いであり、これは向いていないからやめた方がいいわ。むしろ太陽があるのはハウス5で、本当に自分がただ楽しくやっていれば良い。

わたしがわたしにしかわからないよろこびを追求し、実感し、自然に表現されていく過程で、ラッパは勝手になっているんだ。趣味がラッパで、その意義など知らない。それくらいが良い。一切の気負いは不要、害でしかない。

 

・すべてが素晴らしく、美しく、また調和していて、生きるとは何て幸せなことだろう!この世界はなんて美しいのだろう!すべてはあなたなのだから!

 

・月星座蟹座が被害妄想で疑心暗鬼だというの、情緒の欠損つまり「わたしは愛されていいわけない」というのとつながっていると気づいた。親の愛をなぜそこまでわからなかったのかずっと不思議だったんだけど。感じ取る能力に欠けていたからだったんだ。。。特に7歳以降。

 

・月のセルフイメージを捨てることはすなわち母の期待に応えようとする生き方をやめることでもある。父の期待に応えようとする土星も難儀だったけど、月はそれ以上に外在化しづらくハードに感じた。より根源的な安心感=恐怖感とつながっている。母が大切にしてきた娘像がなくなってしまう、そうするとまるで愛のつながりが断たれてしまうかのように感じる。でも実際はそんなことない。愛を信頼するんだ。エーテルコードの回収。

 

・また象徴夢らしい夢をみた。わたしは後部座席に座っていて、運転手と助手席にいる人がわたしをどこか目的地まで送り届けている。だけどどうやらその二人はわたしが後ろに乗っていることをもう忘れているようで、道に迷い始めた。景色は赤茶けた険しい山々。そこで「おいおい」と思ってわたしが声をかけ、地図を見て、上からの全景を確認するような役割を担っていた。

 

・蟹の愛でなくても愛は間。蟹でなくては届かないという思い込み、恐怖を捨てよう。愛を「わかってもらわないと」「伝えないと」という姿勢も同じく。そうじゃない方法の方が、「今は」よほど豊かに伝えることができる。