アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

マンエフェ(?)がもたらしてくれたもの5つ

 

一連の愚痴を吐き出してみたものの

alkes.hatenablog.com

一方で、この現象があったからこそ今のわたしがあるなあと感じる。

今日はそこのところをまとめてみよう。

 

マンエフェ(?)があってよかったこと

  1. 認識能力の向上
  2. 想像力の向上
  3. 自分軸の完成
  4. 美しさを感じる心の向上
  5. 時事問題の矮小化

 

1つめは、

すべてが今この瞬間に出現したのだという感覚を持つことで、

「慣れ」から脱却し、「眠り」から覚めることができるということ。

ふと見たら模様がさっきと違う!みたいなことが連続すると、

旅行とか非日常体験しなくても、毎日のルーティーンの中でも異世界だし非日常なので、必然的に新鮮で高揚した気持でいられる。

(疲れるけど。)

松村さん風に言うなら、月意識に落ちないで済むという感じ?

あるいは、オートマトン(機械人間)にならないで済むという感じ。

好きな音楽をCDで聴いていても度々バージョン違いのように変化するので、もうライブ感満載。

音質の低下やピアノソロが聴こえなくなるとか悲しいこともあるけど・・・

とにかく五感フル稼働で「今ここ」を感じやすくなる。世界が明晰になる。

今この一瞬はとても儚く貴重な明晰夢の中にいるのだと思える。

 

2つ目は、例えば↑の、CDで聴いている音楽が変わったときのこと。

お気に入りのメロディー部分が消えてしまったときには、聴きながら脳内で再現するということをするようになった。

デザインも、かつてそれを美しいと思ったときはどうだったのか、今はどこが嫌なのか、というのを考えて、心の中に美しい状態をもう一度映し出す。

そうすると、あら不思議・・・音楽や美術の素養など何もないけれど、心の中に「何か」が発生する。音でも絵でもない、なにか心地よいもの・・・誰かが何かを届けてくれる。

これは、この物質世界の崩壊の認識がなかったら感じられなかったギフトだと思う。

 

3つ目、これは地味に大きい。

スピリチュアリストたちの言うことを鵜吞みにしなくなった。もともとスピコンテンツには警戒心が強いけど、一層そうなった。

予言や格言的なことに、わたしが感じている現実は一言も表されていないから。誰もこのことについて言ってくれていない。役立たず。

正直・・・「この現象がわからないくせに何が○○だよ。」とか結構思ってしまう。それだけわたしは孤独で苦労していて傷が深いからなんだけど・・・

そういうわけで、他人よりも自分の記憶と感覚を信じて、いわゆる「自分軸」を完成させるようになった。

究極的にはわたしの世界にはわたししかいないんだなということを感じるようになった。

 

4つ目、

美しいものがなくなっていくと書いたのに逆説的だけど、実際に美しいと感じること自体は以前より格段に増えた。

自分に向き合ってルールを解除するようになったことで、頭と心が分離された。

心はどんなものにも関係なく感動する。

鳥のさえずりをきいて、「ああ、なんだ。ヒヨドリか」という人は頭で心の感じた美しさを否定してしまっている。

ヒヨドリだろうがカラスだろうが、きれいだなと思ったならきれいだ。

枯れ葉も素敵なコントラストを作る。

何を見ても、「ああ~いいですねぇ」みたいな。言語化されない感覚。

そういう感じ方を大事にできるようになった。

人為的な美しさが減った分、自然の美しさに目がいくようになったというのもあるかもしれないな。

 

最後は、一瞬であらゆるものが変わるようなこんな世界で、経済がどうとか政治がどうとかがあまりにもどうでもよくなってしまったという話。

時事問題どころか人生にものめりこめないので、良いのか悪いのかわからないけど・・・少なくとも振り回されなくなったのは良いこと。