前にこういうのを書いたけど、
今回も似たような話。
あ・・・具合悪くなりましたよ。見事に。たまたまなのかどうなのか・・・
書いた直後は全然大丈夫だったんだけどね・・・アクセス数がそれなりに増えてからなのかな?
でも懲りずに書きます。読んでもらえてるみたいなので・・・感謝です。
たぶんマンエフェ関連はこれで最後にします。体調悪くなるの困るので。
みんな体調悪くなるから声を上げないのかなあ。仲間は本当はたくさんいるんだろうか・・・うーん。
前から「マンデラエフェクト」自体は知ってたし、あった。
ミッキーのサスペンダーとか、オーストラリアの位置とかね。
その程度なら「世界線移動かな?」で済んだ。
ちなみに世界線移動説も、自主的な移動と、強制的な移動ではずいぶんニュアンスが変わってくると思う。
自主的に、自分の波動に合わせてパラレルワールドを移動しているということなら受け入れやすい。
強制的な移動という場合は、もといた世界が消えたから仕方なく「難民」のように近しい世界線に飛ばされた、というマイナスイメージ。
だけど、世界線移動説はわたしの中では今は下火です。
私の中でこの奇妙な現象が加速し始めたのがちょうど去年の春ごろ。
最初に気になったのは、人々の顔だった。
芸能人とか俳優の顔がみんな微妙に違う。
一応識別はできる(誰なのかはわかる)のだけど、違和感。
家族や友達の顔までなんだか違って見えてくる・・・
「これはいわゆるゲシュタルト崩壊ってやつかな?」と思っていた。
変だと思って見るからどんどん変に感じるんだ、きっとそうだ。そういうことにしておこう。
しかし・・・あとの顛末は↑の記事で書いたから省略するとして。
今回は起きている変化について自分が思っていることの補足をしたい。
いつだか忘れたけど、富士山がぺっちゃんこになったでしょ。
どの写真を見ても、かつての面影はなく。イラストまで平たくなっている有様。
日本が誇る霊峰の富士山が・・・なんだか情けない。
モナリザとか、いろんな絵画・彫刻・建築のマンエフェを見ていても、「良さがなくなってない???」と思いませんか。
絶妙な匙加減というか、1ミリ単位の1筆に、「美」が宿っていたのではないの??と思う。色合いとか風合いとか。
つまり言いたいことはタイトル通りなんですけど。
物質界に吹き込まれていた霊性がなくなっていく結果、微妙な差が広がっていってマンエフェのような現象が起きているのではないか?と思うのです。
なんで人間の顔が変わった話から始めたかというと、
人の顔も霊性がまとめあげているよね、ということが言いたかった。
同じパーツでも、その人らしさをまとめあげているものは「物質」ではない。
(物質的にも明らかに鼻が短くなったり目が小さくなったりしているが。芸能人のファンの人とか何も感じないんですか?)
霊性、その人の魂が変わったら(消えたら)違う人に見えるのは当たり前かなと。
ワのせいもあると思うけど、ワ関係なく昔の(すでに死んでる人とか)の写真まで変わっていたからね・・・
芸術作品のように人間が霊性を吹き込んだものもだし、
富士山のように、もともとの自然界からも霊性・神性が消えていっている。
これもだいぶ前から(去年から)だけど、花のおしべ・めしべが異常に発達しているのも気になる。もれなくイラストも鼻毛祭り。
可憐な雰囲気が台無し・・・とまでは言わなくても、前とバランスが違うよ・・・ね・・・。
身の回りを見渡して、
「ピッタリ収まっていたもの」にスキマができたり。(みんな掃除してて気づかないの?しかも日々広がっていく・・・)
ボタンの位置が離れて付けにくくなったり。(当然シルエットも変わる)
文字の印刷が「ビキビキ」していたり。(特に筆で書いた習字系がひどい)
取っ手の位置が変わって持ちにくくなったり。(体で覚えているから普通に危ない)
見た目の美しさは主観が入るとしても、「機能美」というのがあるはずで、絶対それが損なわれていっていると思う。
言ってることがわかんない人はもういいです。さよなら。
最近のこのマンエフェ(?)に気づくかどうかは、物に宿っている微細な霊性を感じていた人かどうか、というだけな気がする。
だって、どんなに変化してもそれが「ドア」「炊飯器」「布団」ということ自体は変わらないのであって、
ある日いきなり炊飯器がなくなってたら、「あれ?ご飯ってどうやって炊いてたんだっけ」って思うかもしれないけど、
「開け閉めができればいい」「ごはんが炊ければいい」「寝られればいい」と思っているなら、些細な違いに気が付くわけない。
ワによって霊性が阻まれる人が増えていけば、物から霊性が失われても違いが分からなくて当然だし、集合意識の偏りによってますます悪化していくのも頷けるというわけ。
ますます物質界にのめりこむ人と、物質界がイリュージョンであると気が付く人に分かれていく。
物質界にのめりこむ人たちの精神は「空き家」になっている。
どうせ「空き家」で、物質的に生活をするだけのオートマトンになっているのなら、それを有効利用しましょう、ということで、地球外生命体(この太陽系にルーツを持たない魂)がどんどん入り込んできているんじゃないか?とすら思っている。
ワの寄生虫的要素含め・・・わかる人にならわかる。伝われ。
ワを打つ前からおかしかった人たちは多い。どんなに変だと思っていても、コントロールされたように同じ言い訳を並べて打ちに行った。
すでに乗っ取られていたのかな、なんてね。
あと、ひとつ面白いなと思ったこと。
ずっと中古で高値がついていた漫画同人誌が、
この奇妙な「改変」が始まってから、例にもれず絵が変わった(コマ割り自体は変わらないけど、コマの大きさ?ページに占める割合?も変わった)のだけど、
そのとき以降いきなり値段が下がった。
「ほーう??オタクは無意識にでも認識しているってことか!!」と思った。
値段が下がるということはみんないきなり手放し始めたということ。(私も売ろうとしたから気が付いた。)
変わったと明確に感じなくても、読み直したときに「あれ、こんなだっけ・・・魅力を感じないな。もう売ろうかな」となるわけでしょう。
そのことがあったから、「もしかしたらある日いきなりみんなが気が付いて騒ぎ始めるのかも」と思っていたのだけど・・・
どうやらそういうことはなかった。
おかげで社会が回っているのでありがたいけどね。
みんなが気が付いたらパニック。狂乱。今頑張ってデザインとかモノづくりしている人たち、何もやる気なくなると思うから。
地球がどんどん重くなってるとか軽くなってるとか、いろいろ言う人がいるけど、どっちも正しいだろうな。
物質がそのままの形をとどめるのは「土」の要素。
地球はそもそも「土」要素が過剰だから、物が変わるのが常識となること自体はアストラル界っぽくて歓迎すべきことだと思う。
この記事でも書いたけど、
なんだかんだ自分にとってありがたいイベントではあった。
時間の流れ(体感)が異常に速くなっているのも、エーテル化に伴って速くなるという説があるから、それ自体は「地球の進化」「人類意識の進化」って気はする。
問題は、変化の理由、方向性だよね。
物と霊、粒と波、2つで1つだったものが、そうじゃなくなって剝がれてきてるということなら・・・
重くなる地球と、軽くなる(他の星と同じようになる)地球に分かれる・・・?
剥がれるなんてことがあるんだろうか。
どういうつもりで生きていけば良いのか悩む日々。
だってさ、「物質界を大事にしましょう」「グラウンディングは基本」「霊性を大地に流しましょう」「創作活動が大事」そういう言説が多いじゃん。
これは物質と霊が2つで1つだったころの話で、時代遅れになってきてるかもしれないと思ったり・・・
ときどき「地球を脱出しよう」「今こそアセンション」的なのもあるけど、現に今ある物質界の人生をおざなりにして(否定して)スピスピと現実逃避するのも違うと思うし、悩ましいね。
「太陽系外からの"移民"(宇宙人)が増えてきた地球。"移民"の文化が浸透してきた。
かつては住みよいところだったけど、今は変化を受け入れるしかないね~」
そんな感じで思えばいいのかな・・・?
10/12 追記 なんと!!!こんな記事を待ってた!!!!
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さらに追記。(2023年)
ここは既に、切り離された偽物の世界ということみたいだ。だからこんなにいろんなものが雑なんだね。人間らしくない感性なのも、「そういう派閥の介入」と思えば、やっぱり納得。
ヒントの宝庫のようなお話↓。読み物としても面白い。⑤まであります。
はあ・・・そっか・・・(笑)
ここは本流じゃない。
切り離された偽物フィルムの世界(落丁の寄せ集め)を選択してでも自分の魂のストーリーを進めようということならば、もう覚悟を決めて。
今ここでしかできない体験をして、人生をまっとうしよう。
あまりにも長い夢をみているだけ。
せっかく夢なら、目覚めるまで楽しむほかない!文句言ってる場合じゃない。
何か、書いててふと思ったけど・・・
たまにアメリカのスピ系コンテンツで「光の連合側はもう勝利している」「悪いエイリアンはもう追放された」とかいう話?をきくけど、それってこの↑の話の「ドト子側」の世界の話なんじゃない・・・?
事態はそう単純ではない。という気がする。
まあなんでもいいんだよ。
私たちはこの壮大な物語の中の1キャラクターであり、
そして同時に作者であり、読者なんだから。