アルケスの雨

あなたは愛するすべてとなってわたしをよろこばせる

2022年11月の日記 ~惑星の声を聴く、アストラルや次元についての考察を深める

 

・最近は夢の世界での記憶を少し長めに覚えていられるようになった。そこで自分が何を考えていたかも思い出せる。思考自体をある程度対象化できるようになったからかも。

 

・「アストラルは実体ではなく翻訳されたもの」ということで、似たようなモチーフにコロコロと変わることへの抵抗がますますなくなってくる。むしろその共通項から生データ(?)を推測するのが楽しくなってきた。油断すると洪水の中にのまれてしまうのでバランスが難しいけど。

 

・”象徴”(アーキタイプ)は関係性の中でこそ存在できると知った。アストラルは面であり、線と線の集まりによってはじめて立ち現れてくるということ。先生がYou named meと言ったことにもつながる。仏教の縁起の概念も多分同じ。

 

・「関係性の中でこそあらわれるアストラル=全惑星意識」を自らの意のままにすることこそ、人間存在の目標なんだ。わざわざ分離の状態を知り(恒星から惑星に分割し)、全惑星を練習する。各々の「面」を理解し、マナスのもとに置く。

 

・松村さんの本はルシファー要素が強いので読んだ後しばらく変な感じになる。何かになろうとかどこかに行こうとかそういうことは副次的でしかないのに。大事なことはあたたかい光で自らの全体を満たすこと。やることはHereもThereも変わらない。

 

・ルシフェリックの何がおかしいかって、「今ここ」を否定するところ。嫌なことを認識しようとしないところ。「今ここ」に集中すると没入するように思えるけど実際は逆で、むしろつながりは強まる。夢の中でも風を頬に感じたときには先生を近くに感じた。「見えない」ほうが真実に近いようにも思う(見えるのはわたしのために”見せてくれている”から)。ポジネガを超越したこの瞬間を受け入れ続けたい。

 

・”思考”はリラックスの反対(無の反対)でも、究極まで行けば青い幾何学模様の回転を見る、というのは実証済み。

 

・人々がすべて自己の一部のように感じる。心地よいことも悪いことも、共にすべてを集めている仲間。理論ではなく実感として、もし誰かが囚われていたらそれは自分の指がどこかに挟まっているのと同じだと(モーエンさんの言っていることが)わかった。分離の感覚は幻だ。モーエンさんがレトリーバルをする動機を、はっきりと自分のものとして理解できるようになった。

 

・HereもThereも区別にあまり意味がないのなら、漠然と抱き続けている夢も、レトリーバルの方法として活用できるのかもしれない。シェルターを作るとか、壇上でスピーチをするとか。

 

・2次元と3次元の関係とパラレルに考えれば尚更、この次元の感覚の延長で高次元に触れようとしても意味がなく、むしろ脳で処理されることのない、意識のどこかでだけとらえている精妙さを感じられればそれで良い。SSRは持ち帰れない。

 

SSRの片鱗を感じるときには言葉が消える。一生懸命に脳を動かして再現しようとしなくても、いつもすぐそこにある。

 

・2次元の世界の住人は自分たちの形を一望することがないように、逆に言えばこの世界の人間の一生も、どこかの高次元では一望できる。一本の映画を順に再生しているとか、種の状態として眠っているとか、そういうやつ。

 

・重力で圧縮されてつぶれて見えるという意味でも、この世界は2次元世界のようだ。それに、2次元でばらばらに見えるものが3次元では1つであり得る(2次元には穴や結び目が存在できないから)というのも、バラバラに感じる他人同士や事象の数々が本来1つのものを構成しているということと同じだ。

 

・4次元が介入すれば3次元の分子を反転させることもできるということに、悪魔的な鏡面同位体の話を思い出した。

 

・「今この瞬間に溢れてくる愛をどう表現したいか?」ということに尽きるのかもしれない。あたたかい光で全体を満たすことが結果的に利他になるというだけで、「使命っぽいもの」を果たすために没入したりする必要はないのかも。

 

土星や火星のことばかり考えていたけど、そもそも太陽が不納得だともやもやして元気が出ないということがわかった。他人の目によって自己の在り方が規定されるてんびん座太陽にとっては、「他人の目にこう映るであろう」という姿に納得がいかないと陰り始める。店の看板やパッケージのような外装=「あなたは誰?」に答えるのはもっぱら土星の役割だと思っていた。それだけじゃなかった。わたしはもっとスマートで美しく輝いている自分でありたい。

 

・推しがもしルシファーにとりつかれて金星に引きこもったら心配するし、かといってマレフィックに焦って空回りしていても「困った人だねえ」と苦笑して眺める気がするので、自分も同じことなんだなと思った。ただ人生を楽しんでほしい、それこそ金星と火星の間にある太陽を輝かせて。

 

・わたしのネイタルの惑星の声をきいてみることにした。

月「いつも心穏やかに安心していてほしい」

水星「いろいろな経験をしてほしい、できるだけ多くの化学反応を感じてほしい」

金星「心からのよろこびで愛を感じてほしい」

太陽「自分自身になってほしい、輝いてほしい」

火星「どんな変化も楽しんでほしい、新しい風をよろこんでほしい」

木星「愛を大きく育ててほしい、無限に拡大する宇宙についてきてほしい」

土星「賢く柔軟に生き抜いてほしい」

天王星「変化をたえまなく積み上げてほしい」*

海王星「どのような場(次元)においても確たる足場を持っていてほしい」

冥王星「呼びかけに気づき共鳴して欲しい」

*トランスサタニアン3つはまだ明確ではないけど・・・

 

・たとえば曲を聴いているとき、次の展開がサビのリフレインなのかアウトロに続くのかというのが、ここでは一直線上でしかわからないけど、高次元ではそれらの分岐が同時に起こるのだということがわかった。

 

土星のリングはどのような意味があるのか尋ねたら、「おわりのはじまり」「永遠の始まり」との答え。土星そのものについてウィキなどを見ると、リングの間に挟まれて出られなくなった衛星がたくさんあるらしく(今も増えてる)なるほどいかにも土星だなと思った。閉じ込める作用。輪廻もそんな感じかも。

 

 

 

2022年10月の日記 ~動きながらサットヴァ、奉仕とバクティ、人類意識

 

・あと5分で死ぬならどうするか?と考えたことで意識レベルを上に引き戻せた。もうすぐ覚める夢と思うことで存在感覚に集中できる。

インド哲学で言うところのタマスとラジャスばかりの状態から、サットヴァを思い出せる。何をしていようが、すべてが至高になる。

 

・「習慣」「反復」という概念は、オートマタにも「土」の要素にも同様にあてはまる。けど、オートマタは空っぽで霊性がない。「土」の要素の本来あるべき姿は、「習慣」や「反復」によって物質に霊性を宿すというもの。

 

・大して真意でもないのに軽率に否定的な言葉をしゃべると腹の底が冷えたり気分が悪くなったりする。今までのような感覚でいてはいけないと思った。自分の言葉に言霊が宿るようになっている。気を引き締めねば。

 

・誰かを否定的にとらえるとき、自分にそうあることを許していない痛みがある。「こんな人になってはいけない」と。いいんだよ、そんな人になっても。人を許すことは自分を許すこと。

 

新約聖書のテーマは「他の人々が生きることができるようにするために生きる」ことらしい。他の人々が、物質的にも、霊的にも、生きることができるように。

最近になって利他や奉仕という概念がなじんできた。以前は「自分のために」解脱したいみたいな感じだった。自分が苦しいから、自分が解放されたいと。悪行を働く人々と自分は違うから、自分は救われるのだと。

今はそういう感覚が薄れた。「チームのため」「全体のため」という気持ち。

 

・利他とか奉仕とかを説くものって、「自分を犠牲にしてでもやりましょう」っていうのが多いんだけど、自分と他人の区別をするのも妙だと思う。自分って言っても肉体やパーソナリティは借り物なんだから。

 

・鉱物は植物と一体化するよろこびがあり、植物は動物と、、、人は神と。より高次元の存在、「他」の役に立つこと、奉仕のよろこび。食べてもらう、味わってもらう、食物連鎖、明け方のSSR、星のあめ玉。その意味でなら「身を捧げる」という表現もわかる。

 

・推しを支える誰か一人でも欠けていたら推しの人生は別の人生になって、彼の火はわたしまで届かなかったかもしれない。そう思うと、表舞台に立っていなくても一人一人の果たしている役割に感服せざるを得ない。

わたしにいろいろなものが与えられているように、誰かに何かが与えられる一連のプロセスの一部にわたし自身も組み込まれている。それは自覚できる範囲をはるかに超えることだ。自覚できる(予測できる)範囲を見渡して「私は役に立っている」「俺は何の役にも立っていない」などと判断するのはあまりにも浅はかだ。

自分ではこの人の使途をどうにもできない、と重々承知の上で、「どうかこのわたしをお役立てください」という想いを持つようになった。愛と光を与えてくださったあなたに、身も心も捧げましょう。バクティ

 

・これまでずっと、動き続けることから解放されたくて、完成したくて、無になるために頑張るというスタイルで生きてきた。ある時点で「うつろいは永遠」だと気づいても、どこか苦しさがあって、見て見ぬふりした。使命を探したりして自分を奮い立たせてた。でも今は変わりつつある。

数々の反面教師たちを見るにつけて、「ゴールを達成しよう」という生き方のみならず、「自分はゴールを達成した」として成長を止める仮死の恐ろしさも知った。

わたしは変化し続けたい。わたしはすでに解放されたあとなんだ。どこにでもいける。動きながらサットヴァ、【世界】のダンサーでいたい。ずっと生きていこう、この体が朽ちても、この人と共に。もしそれが全体のために許されるなら。

意識のわたしが成長し続ける、そのわたしにこの人もついていきたいのです。

どちらの側から見ても最上に愛し合っていて、絶対帰依ってこういうことかなと思う。この人の愛を、神さまと同次元のレベルに引き上げるということ。

わたしは不完全なこの人のことも、崩れていくこの世界のことも、幾多の罪を重ね続けてきた人類のことも、愛している。愛のもたらす痛みも、痛みに対する弱さも、恐れも、あらゆる愛の存在を教えてくれる悪も、愛している。

 

・以前は推しを起点に愛と感謝を広げて、偏愛を博愛に昇華させた経緯があったけど、今は人類社会を個人個人の集まりではなく、ひとつのまとまりとして見るようになった。というか、自分が人類そのものになった感じがある。人類のカルマの大きさとその行く末を、自分事として感じながら愛している。わたしはずっとずっと昔から生きてきた。あらゆる経験をして、あらゆる罪を犯した。それをずっと見てきた。今も見ている。許されたいし、許している、愛しているから。

 

・働くか働かないかというのも例によって選択そのものには大した意味がなく、意識、というか動機の問題だった。経済的な恐れ、うまくいかないことへの恐れ、見放されることへの恐れ。恐ればかりで決めようとしていた。今はわたしは神に仕えたい。それが世間的に仕事と呼ばれるものかどうかは重要ではない。つくべき配置によろこんでつきたい、と改めてわたしの方から表明しよう。

 

・意識レベルが人類というひとつのまとまりに到達したことで、あらゆることの見方が変わってきた。たしかにこの人はワを打っていないけれど、それはこの人の話でしかないし、ワを皆が打ったということもカルマとして当然の帰結のように眺めている。一人一人のすべての決定に対する無条件の受容がある。絶望や恐怖はもう感じない。人類に対する確信、「大丈夫だ」という圧倒的な信頼。わたしの中にある、「自分の力でなんとかできるのだ」という内なるパワーの感覚が、人類を自己としてみることによって人類レベルに適用されるようになった。どのような結末になろうとも、また、どれほど時間がかかろうとも、必ず大丈夫なのだと知っている。暗き所に光を、愛と許しの海を。

 

・人類史のようなものを俯瞰している。生き物の状態から天を思い出すことの偉大さ!文明と文化。数えきれないほどの魂が収集した知覚情報、集合意識への敬意。

 

・以前、光の粒が成長していくビジョンを見たのを、我がこととして再認識するようになった。【運命の輪】から【世界】へ。この人が1細胞でしかない(CWすら1器官でしかない)ことに対し抱いていた果てしない無力感が、今は全くない。わたしは全体だから。

 

・あなたはわたしたちを動かし、また、わたしたちはあなたにわたしたちを描かせる。

 

・思考や視点の次元が上がると、それだけ多くのことを瞬時に把握し、多面的に現象を理解し、「既に知っている」という状態になるので、基本的に動じなくなる。興味の所在が偏極しておらず、すべてをただ見ている星のような状態。

 

・各々が体験しなければ意味がないということも前より深く理解するようになり、ますます肩の力が抜けた。教えなければ、なんて意味がなかったな。各々の道の入り口がどんなにエゴ的であっても構わない。なにせわたしもそうだったし。あらゆる在り方への敬い、許し。

「嫌い」な人はいなくなる。この人がその人を嫌いという感情がある=許せていない穴(愛の欠落)がある、と対象化されるだけ。

 

・それぞれの探査機の特徴が違うことで異なる体験を収集できる。そう思うとなおさら、各々が自ら道を見つけて歩むことの大切さがわかる。いろんな人がいる方が面白い。できるだけバラエティーがある方がよくて、そのすべてを愛している、ディスク的な視点。

 

・高いエネルギーは安定しないということを知って、世界全体のエネルギー変化で物に霊がとどまりにくくなっているのかなと思い始めた。明らかに「あるデザインへの偏向」はあるので、相変わらず何らかの侵略的な影響はあると思うけど、それに伴ってなのか、それとは別に起きているのか、「エネルギーの消散」という現象もあるなと。

そもそも仮にこの改変がなくても、生演奏の感動はその瞬間限り。物に宿して保存できていたことの方が奇跡で、そこが物質界の特異な面白さ(だったの)かなと思う。

 

・常に自らの内側にゲートがある。より深い瞑想をしていこう。瞑想やヒーリングというある種の文化的な型に対してコンプレックスがあったことがわかった。それを作り上げた出来事をひとつひとつ直視して昇華することにした。邪気をとり身を清めて愛を喚起する。歓喜する。その先にこそ深い瞑想の境地があるのだから、何も問題はない。

 

・白く、全体を等しく広く照らす霊的な火。熱くないけど心をあたたかく、幸福と恍惚で満たしてくれる。水分を含まない光。

 

・両性具有エーテル状態を一度習得したのにやめてしまったので反省、Uターンする。地上での体験や個としての体験にまだ未練があったけど、少しずつ消えていってる。

 

・本を読むと没入し、早く読み終えて解放されたいと思う。人生も同じ。没入して苦しむとわかっていても、新しい学びに胸を躍らせてページを開く。成長したいから。ふと自分が本を読んでいるのだと思いだせば、それだけでいつでも解放される。そしてまた読み始める。

 

・感覚でとらえる世界は残像。以前、「目の前で風に揺れる葉っぱですら過去」と書いたことを思い出した。覚知できる瞬間が生まれる前の本当の意味での瞬間、、そこに集中しよう。

 

 

マンデラエフェクト(?)の原因:物質とエネルギーを変換するポータルの激増?

 

マンデラエフェクトはCERNLHCとかKEKBみたいな、大型ハドロン加速器の実験でポータルができたせいだというのがよくある有力説。

これはもう結構有名な話なので省略。

 

そもそも

  1. 物質(質量)をエネルギーに変換する代表例は原爆と原発
  2. エネルギーを物質に変換する代表例はCERNで行う衝突実験のようなもの。

 

エネルギーって要するに霊だよね。目に見えないけど、「ある」もの。

例のCERNがやっているような実験は、霊的なものを物質にすることということになる。

言い換えれば、この物質界に霊界のポータルを開くということ。

 

それで、個人的には、その反対方向の原爆もポータルを作るために実験してたんじゃないの? って思い始めてる。

だってたった50年の間に2000回って・・・

性能を確認するため?威嚇するため??

環境が破壊されたら自分たちだってさすがに困るし・・・絶対目的が別にある気がする。

原爆の爆心地にいたら体ごと霊界に行けたりして??

霊界って言っても、その人の意識状態・エネルギーレベルによるので、行き先が良いところとは限らないけど。

原爆のヤバさは、地球環境だとか戦争で人命が~とかのレベルを超えたところにあるんじゃないのか?(もちろん人命や環境を軽視しているわけではありません)。

 

さて、今回書きたかったのはその先の話。

 

CERNなんかよりも、

物とエネルギーを変換することができる装置として最も身近で有能な装置、

それは・・・

・・・

人間だね。

 

人間の想念エネルギーの力。

一番わかりやすいのは芸術で、思い描いた想念が物質界に形として現れる。

そういう直接的な行為を介さなくても、日々人間はエネルギーと物質の変換作業を行ってる。

 

(あ、一応言っておきますが、食べ物を消化してエネルギーにするとかは当てはまりません。光合成も違いますよ。それはここでいう「物質とエネルギーの変換」の事例ではないです。物理学を解説する記事じゃないので、わからない人は自分で調べてください。)

 

 

CERNみたいな大々的な装置作るより、もっと手軽なポータルが欲しいなあと思ったら、人間を利用しちゃえばいいんじゃない?って、思いついたのかな~。なんて。

核実験そんなにやるわけにもいかないし。

それで前から粛々と計画を進めていたのかな~。と想像します。今回のワのこと。

 

実際、物質界の変性(マンデラエフェクトかのように感じられる現象)が世界的なワクチン接種と同時期に加速した。これは間違いない。

 

alkes.hatenablog.com

alkes.hatenablog.com

 

改めて問いますが、これに気が付いている人、いますか?

陰謀論に精通している人、スピリチュアルに精通している人、モノをよく見ていた人、美術館に一緒に行った友人、イラストレーターの友人、いろんな人にきいてみたけど、みんなわからない。

お前ら、これまで何見てたの????

 おっと、言いすぎちまった。すまんね、孤独すぎるもんでね。

 

わたしの知っているなかで気づいてらっしゃるのは唯一この方だけ。

indeep.jp

 

そういうわけで、このマンデラエフェクト的な現象も、

街中そこらじゅうポータルだらけになったのなら当然か~というふうにひとりで納得しました。。

 

うじゃうじゃ入って来ている。

目のおかしい人。

人間としての意識(光)が失われている人。

(同じ感覚の人がいらっしゃって嬉しいです。コメント欄も参考になる↓)

ameblo.jp

ameblo.jp

 

ときどき、犬と仲良く暮らしていた赤ちゃんや子供がいきなり襲われて死んじゃったりする悲しいニュースがあるけど、

それって動物に邪霊が憑依したケースも多いと思うんだよね。

 

人間の形しているけど、犬レベルのアストラル体しかもたないって人がたくさん増えると、穏やかに話していたはずの人がいきなり殺しに来ることも案外起こると思う。

人々が一斉に暴徒化する。

これは別に5GやBluetoothを介して指令が来るとかじゃなくても、起きうる。個別的に。

(ワにそういう機能が搭載されている説は否定しないけど。)

 

ちなみに犬とだって心は通わせられるし、犬は日々の物事を理解して、ちゃんと「感情的に反応」するよ。まさにそれがアストラル体の能力だからね。(植物にはアストラル体はない。)

記憶もアストラル体に蓄えられるし。

いってみればアストラル体こそパーソナリティであり、アストラル体が同じであれば「その人らしく」見える。(占星術アストラル体の設計図。)

 

でも、人類の本質はその上の次元にあるよね。

神の子としての、魂の光というやつが。

今回のワ関係なくても、いろんな毒と相まってそこに到達できなくさせられていた人々は多いと思うので、あんまり接種のことだけ責めてもね・・・とは思う・・・。

 

むしろ接種した方でも、自分自身の本質を知っている方は影響を受けにくいのではないかと。

まあ自分自身の本質を知る人ってものすごく少数だろうけど・・・まず、肉体が死んだら終わりだと思っている人は完全にアウト。

アストラル体のパーソナリティを自分だと思っている人もアウトかも・・・

めちゃめちゃ瞑想してて、たとえばヘミシンクのフォーカス15あたりに自力で行ける人とかじゃないと厳しそう。

 

ともあれ

物質界がどんどん変わり始めた頃は、何が起きているのかパニックだったけどさすがに1年半も経つと冷静になってくるね。

そして今は自分の説にも確信が出てきた。

 

崩壊する世界でも、ここにいるのはここにいたいから。

こんなに安定して見られる明晰夢はほかにないよ。そんな風に思ってる。

地球を愛してしまった馬鹿な人類として、もう少し楽しみたいと思う。

 

 

未達成のバケットリストより、もう達成したバケットリストを書こうよ

人生でやりたいことを100書こうみたいなやつ。

人に勧められてやってみて、たしかに良かった、自覚していなかった自分の側面や好みも知れた、

けど、

むしろ既に達成したこと、「この人生で、これができてよかった」と思うことを思いつくままに書いてみたら、

「わ~~生まれてきてよかった!!生きてきてよかった!!」と思って、とても幸せになれた・・・

ので・・・おすすめです。

 

これから達成を目指す箇条書きよりも・・・勲章を入れた宝箱みたいになる。

っていうと後ろ向きな感じもあるけど

逆に、これからも心に従って生きていこう、って思えるというか。

魂の決めているバケットリストが自然に達成されていくのも良いなって思う。

たかが脳みその発想力じゃ限界があるしね。

 

こんなに経験できた、いつ死んでも悔いがない、と思えるのはとても贅沢なことだ。

ありがとう人生、ありがとう世界。

 

エッチなことを考えるとくしゃみが出るワケ

調べても納得できる答えがないので自分で考えました。

わたしの答えは「松果体が浄化されるから」です。

 

日光を直視したときもくしゃみが出るじゃん??

それと似た反応だなと思ったので、おそらく松果体がらみの、スピリチュアルなエネルギーの問題だと思った。

 

スケベなこととかいうと卑しい感じしかしないけど、各地の霊的修行が妖しい儀式を伴うことからもわかるように、やっぱり色欲はスピリチュアルなエネルギーを喚起しやすい。

 

咳とかくしゃみとかは邪気を祓う体の反応だと思うので、日光やスケベ心によってエネルギーが第六チャクラあたりに一気に集まると浄化作用が働くんじゃないか?と思いました。

 

根拠はありません。

おわり。

 

純真無垢な悪魔

 

「若いころに考えたことは現実になるから気を付けろ」―――

 

たしかにそうだなと最近特に思う。

わたしが小学生のころよく考えたのは、「一人一人にビデオカメラがついていればいいのに」だった。

こめかみのあたりに小さいビデオカメラがついてたらいいな、と。

そうでなくても、すべての部屋すみずみにカメラかマイクがあればいいと思った。

言った言わないで馬鹿みたいに揉めるくらいなら、四六時中全部記録しておけばいい。

検索して過去の事実が表示されれば余計な争いがなくなる。

「ここの部分を誤解したんだね」「そうか、なるほど」みたいな。

 

それに、妙に正義感も強かったので、そういう「監視」があればもっと社会は良くなると思った。

隠れて変なことができないように。

真面目で模範的な自分のような人間がもっと浮かばれるように。

幼稚園の頃か、少なくとも小学校低学年ではすでにそんなようなことを思っていた。

 

高学年になる頃にはさらに進んで、VR刑務所を作るべきだと考えていた。

もちろん当時はVRなんていう言葉は知らないけど。

クラスに「キモイ」男子や「ウザイ」男子がいた。わたしは彼らをいかに人道的に(?)排除するかをいつも考えていた。

とある男子は巨乳アイドルが好きだったので、「ずっとアイドルとイチャつけるヘッドギアみたいなのをつけてもらって社会に出させなければいいのでは」と真面目に考えていた。

当時はかなり良いアイデアだと思った。性犯罪も減るんじゃないかと思った。

かなり頻繁に、そのヘッドギア(?)をつけさせている空想をしていた。

 

その後も、生体認証クレジットカードがあったらいいなと思ったりした。

お金目当てで殺人とかがあるくらいならば、本人の意思がなければ機能しない(その人本人しか使えない仕組みの)デジタル通貨で一本化してしまえばいいのではないかと。

そうなれば海外旅行も少しは安心してできる。一人旅でスリに遭う危険も少ない。

そんなことも、もう現実になろうとしている。

 

ああ。。。

 

子供は怖い。

 

2022年9月の日記 ~成長を促すマレフィック、オートマタの反面教師

 

・田舎に行くと人間の本来の小ささを思い知る。都会の利便性、文明は自己を過大評価させる。生きていくためには共同体への帰属(土星・・・)が必要だけど、そのためにパートナーがいたら心強いだろうなんていう考えは完全に改めた。パートナーも共同体の一部だ。

 

・何事にも永遠は存在しないし、それを受け入れたうえでどれだけ楽しめるか。いつでも選択肢がある状態、メンテナンス=テコ入れの余地、戸口の確保を忘れてはならないと肝に銘じた。特にこの人(わたし)はスパンが短いという特性も踏まえて(笑)。今ではわたしはそういうこの人のことが好きだ。

 

・何にも邪魔されず、何からも追われず、恍惚の中に身を浸していたいと思うことも多いけど(ルシフェリック?)、やっぱりそれ以上にわたしは成長したいんだなと思う。あらゆる経験=時の流れが肥料となって、魂の光の花を大きく美しく育ててくれる。

 

・ここ数か月、「土星を自分のものにする」というテーマを掲げてきた。土星はどうしたらこの人(この私)に満足するのか?という視点を持つようになった。今までは投影先の父や恋人に満足してもらおうとしていた。でも自分の土星が納得するなら、他人は本来関係がない。むしろ自分の土星が不納得だからこそ、その投影として「彼らはわたしに不満を抱いている」と感じるんだ。

 

・わたしの土星はこの人に、生きていく力、自分で自分の面倒を見る力、生きていくために創意工夫し、自ら切り開いていく力をつけてほしいと思っていることがわかった。不屈の強さ、生命力を自身の中に感じてほしい。初めてダイヤモンドの良さに気づいた。

 

・輪郭を溶かすうお座。輪郭を溶かしてまた作る柔軟なうお座土星。気ままにどこででも生きていける人。

 

土星がこの人に、困難や試練をも自らの力で打開していくことを求めているように、火星はこの人に何を求めているのか考えると、人生のページをめくることだ。変化を楽しんでほしい。人生が展開していくよろこびを知ってほしい。

 

・「成長したい」というのは外惑星(火星、木星土星)で、恍惚の中に身を浸していたいというのは内惑星(月?、水星、金星)なんだな。特に金星は暁の星、ルシファーだし。

以前は自分自身=内惑星のレベルで、自分はルシフェリックな恍惚の中に閉じこもっていたいのに、環境・社会・肉体・有限の生命(投影された外惑星)がそれを「許してくれない」というように感じていた。でも今は違う。瞑想させないとか、外向きに気を散らすという意味では外惑星(特に火星?)は別の意味で悪魔的(アーリマン?)なのかもしれないけど、ルシファーに対抗し引っ張り合う力は欠かせない。凶星=マレフィックが成長へ導く。

全ての惑星が自分の「中」にあると理解するようになった。内惑星・外惑星、どちらの欲・衝動も持っているのだと。すべてを含んだ全惑星=分割前の太陽。

 

・創造には必ずサタン=輪郭づくりを伴うのだと先生が言っていた。だから創造=想像はその中に囚われる危険を常にはらんでいる。アントロポスの話みたいだ。それでも創造するべきで、無知(光のないこと?)は良くない、There's always a contradiction...というようなことを言っていた。

 

・行為や選択の表面だけ見ても仕方がない。知恵と勇気をもって、最善の生きる道を作っていこう。正解などなく、自分が晴れ晴れとその道を歩めるかどうかだけだ。ちゃんと自分の心に従って選択をする、それを積み重ねることが自信につながる。責任をとるという覚悟が鍵。

 

・恒星パランとヘリオのサビアンの不思議な関連性にまた魅了された。この人の器としての重要性を思い知り、「何かにならなきゃ」じゃなくて、とにかく美しく柔軟で頑丈な器であり続けること、神さまとつながった地上人として生きているということが大事なんだと思った。

 

・大地から最高のカカオを受け取り、最高のショコラを生み出すように。神聖で恍惚とする愛のエネルギーを受け取って、この地で増幅させよう。より多くの愛を学び、表現し、神さまが少しでも喜んでくださるよう、最高の作品を届けたい。ショコラをつくりたいから、カカオをいただくんだ。カカオが欲しいからショコラを作るわけではない。

つまり、宇宙に愛されるために与えられた使命を果たそうとするんじゃなくて、心から湧き上がる想い=やりたいことがあるから(それが結果的に使命を果たすことになるだけで)それを宇宙に応援してもらう、材料を提供してもらう、という感じ。カカオの香りがあまりに素晴らしいから、思わずショコラをつくる、人間というアーティスト。

 

・明日が来る楽しみを持つことも創造のひとつ。人は神さまと共にショコラを作りたい。思い描いたものを「現実化」させるという営み。神さまへの愛を大きく育てる。畏敬と賛美。

 

・思い描いたものを現実化させるというとき、忠実に再現する必要などないとも教わった。思い描いたその「心の状態」の具現・発露が本丸。だから夢で見たのと同じ景色を探すとかは違うんだな・・・と遅ればせながら理解。

 

・どんなに曇った状態でも(こちらが受け取れるかどうかを問わず)、世界は(神さまは)常に変わらない愛を注いでくれる。明晰の感覚を思い出すと神さまがともにあることは自明で確信している状態に戻れる。

空気のクソ悪い例のリビングにいてさえも、先生の膝の上では空気が少し軽くなる。どこにいても何をしていても、必要なのはその感覚・・・存在感覚だ。

 

・リラックスしながら集中する、直観に身を委ねつつ掴み取る瞬発力。フロー。今に集中すること。蜘蛛のように「今に集中」して編み上げる。”意図”を形にする。サダルスード。

 

・どんな他人の発言も態度も一面では自分の投影であると気づくと感じ方も変わってくる。不安、怒り、抑圧、あらゆる否定的な想い、言葉、条件付けは、そうやって自分に返ってくる。

 

・自分は愛を確かめるために人を試そうとするところがあるみたいだ。せめて自覚したうえで自分の言動の意図を相手にわかりやすく表現することにしよう・・・。

愛を確かめるために試すというのは、神さまもすることなのかもしれない。わたしがすることはあなたもする。わたしがされたいことはあなたもされたい。

歯を当てて噛み砕いたとしても、あなたを愛している。苦みもえぐみもあなたの全てを味わいたい。

 

グラウンディングや土の要素的なもの、自分では苦手だと思っていたけど、大地に根を張るMarkabとして本来わたしに組み込まれている強さなのかもしれない。柔軟なうお座土星にもつながる・・・?

 

・月は地球で生きるために大切だけど、そこに過剰にフォーカスするとオートマタになるのだという生きたサンプルを見てきた。物質界や地球生命系だけがすべてかのような、土星以内の惑星意識に囚われる(例えば金銭や名誉にこだわるとか)も困るけど、月に囚われている状態はもっと窮屈で無自覚で恐ろしさを感じた。成長がない。時が止まっているようだ。

 

・わたしのホロスコープ上の月と火星は隣り合っているので仲が良いのかと勝手に思い込んでいたけど、実は火星によって月が傷だらけになっているのではと気が付いた・・・。月は安定・安心したいのに火星は変容を求める。変容に伴う月の痛みが火星に罪悪感を与えていく。月の傷と火星の罪悪感を癒して、両者の折り合いをいかにつけていくかが次の課題になりそうだ。

 

・「恐れがあるとき、常にその恐れよりも自身が強いということを覚えているように」。