レイチェル・ポラックの『タロットの書 叡智の78の段階』を読んだ。
今までに読んだ松村潔氏の著書や、断片的なシュタイナーの理論の知識、
それから個人的な霊的世界での経験が、
ワーッと手を取り合って繋がってきた!
なんでも想像力は創造によって強まるということなので、
純粋に自分のためにブログを書いてみることにした。
なにせ今までは、ブログとして公開するならば人にわかってもらわなければいけない、という気持ちが強かった。
人にわかってもらうということは、人の認知レベルに合わせるということ。
ただでさえ言語化という時点で、高次元の情報は腐った臭いが漂ってくるのにね。
人の認知レベルに合わせて文章を考えているうちに自分がその中に囚われてしまう感じがして、ものすごく嫌だった。
だいたい、「人」って誰だよ?不特定多数の読者を想定するなんて無理がある。
開き直った。というわけで以下は完全に私の覚書のレベルです。
―――
私たちは意識でできている。
その「意識」は、アストラル体や肉体を通して、今はこの世界に限局されている。
この宇宙をゲームに例えるならば、クリエイターもプレイヤーもキャラクターも全部異なる次元における自分、自我だ。
クリエイターは創造神としての自分。
リモコンを持っている、ゲームを楽しむプレイヤー。
最初から見た目や得意な技が決まっているキャラクター。
プレイヤーは転生のときに最適なキャラクターを選んで「生まれて」くる。
ゲームの世界で自分を表現するための器として、この人生での肉体や感情体があるわけ。言ってみれば神様の自己表現。
プレイヤーはゲームの中で自分のやりたいシナリオを完遂するために、「意思決定」「選択」をする。
そういうときにキャラクターの「癖」はプラスにもマイナスにも作用する。
マイナスに作用するキャラクターの「癖」は、手放すべきもの、乗り越えるべき試練とか言われるやつ。
ちなみに、占星術のホロスコープチャートはこの「癖」を俯瞰するために使える。
ゲームキャラの設定資料集みたいな感じ。
さて・・・
0. The Fool 愚者
【愚者】は無知を意味する。先を知らない。好奇心の塊だ。
これはまさに、プレイヤー意識だなと思った。
ゲームを楽しむには先がわかったら面白くないわけですよ。
私は霊的世界で一緒にいてくれる存在(先生)に、「待って、自分で考えるから」とよく言う。
もちろんそんなこと言わなくても先の展開なんて彼が教えてくれるわけなく、むしろ教えてくれと言っても I can't tell you now と言われるけど。。
あえて「待って、自分で考えるから」と意識的に言うことで、一緒に映画を見ているような気持ちになれる。ネタバレしないでね!みたいな。
彼はすでに映画のあらすじをだいたい知っている。ゲームの次のステージを知っている。
知っていても隣で見ているのは面白いのだろうね。プレイヤーの選択によってシナリオ少し変わるしね。
映画を見るときに、隣に既にその映画を知っている人が座っているなら、たまに展開についていけなくなったとき「この人誰だっけ?」ときいたりする、
守護霊ってそんな感じの存在(隣で一緒に見てる人)だなと思う。
先生はしょっちゅう You can go anywhere と言う。
どこにでも行ける、【愚者】である自分を思い出させてくれようとしているのだと思う。無自覚な恐怖と思い込みで自分の可能性を封じてしまうから。
そういえばブルース・モーエンも「私たちの本質は好奇心」と言っていた。
この間見たドラマでもそんなセリフがあった。
「人が生きる理由は、次に何が起きるのか知りたいからよ。」
1. The Magician 魔術師
【魔術師】は精子です。(笑)
先に言ってしまうと【女教皇】は卵子、【女帝】が受精卵~生まれてきた子供としての自分。
この世界に入っていく前のプレイヤー意識が【愚者】で0番なら、この世界に入っていく最初の1番が、概念としての精子。
概念としての精子っていうのは、男性原理そのものという意味。
陰陽の「陽」、完全な純粋な陽。「光あれ」みたいな感じかな。
意図すること。何かを生もうとすること。
生きることは創造すること。創造するためには意図する。トートロジーだけど。
意図するっていうのは、何かにフォーカスすること、指さすこと。地図を広げて、ここに行く!っていう感じ。そしたらそこに行く。それが霊的世界のルール。
ここに行く!って指をさすポーズに似てるよね、【魔術師】のカードの絵。
右手を上にあげて、左手を下に。避雷針のポーズだ。
天のエネルギーを地に流すこと。パイプになること。アースすること。
優れた魔術師(スピリチュアリスト、シャーマン)はパイプとして優れているわけで、一切のエゴ、恐怖がない。
エゴや恐怖にまみれた魔術師はカビだらけでヘドロの詰まった配管って感じがする。
完全にパイプが詰まると霊的なエネルギーが流れなくて、創造的ではなくなって、生きる気力もなくなる。
エネルギーは流せば流すほどパイプとして機能する。(だからブログを書くことにした。)
パイプっていうと通路だから、植物意識のエーテル体という感じがするね。
アストラル体を自己の本体にするんじゃなく、エーテル体に意識を宿すのが今の人類の目的(?)みたいなシュタイナーの話にもつながるような気がする。
2. The High Priestess 女教皇
【女教皇】は卵子って言った通り、こちらは純粋な女性原理で、陰陽の「陰」。
すべてがそこから生まれてくる命の海、黒い無限。
ブルース・モーエンが『死後探索マニュアル』で言うところの「知覚者」の感覚に近いと思う。夢、潜在意識の世界を感じ取るだけの「知覚者」は、それを解釈できないから記憶ができない。だから知覚者に傾きすぎると私たちはブラックアウトしてしまう。
【女教皇】のカードが持っている書物こそ、宇宙のすべての智恵。
カードは2番目だから、シュタイナーの12感覚に対応させるならおうし座の思考感覚。
(1番の牡羊座【魔術師】は自我感覚、世界に自分をねじ込む。)
思考感覚ってのは、私たちが自分で思考していると思っているそれとは別物。
本当は私たちは自分で何も考えていない。流れている思考の一部を観察して拾い上げているだけだ。
自分が考えたというのは幻想。電車の外に流れていく風景のどこを見ているか、みたいなのと同じ。
つまり瞑想とかしてなくても、いつでも私たちはモーエンさんの言うところの「知覚者」と「解釈者」の両方であるということ。
(「知覚者」=右脳、「解釈者」=左脳 という人もいる)
そして、言語化されたり理解される形になる前の「智恵」、知覚者が知覚しているその対象が、【女教皇】の手にしている書物ということになると思う。
(もちろん、本だからって言語で書いてあるわけではない。シンボルとしての本。)
そういえば以前ヘミシンクをしたときに、エーテルフィールド?の自分の机の上に見知らぬ辞書が置いてあって、先生がROTE(非言語のスタンプみたいなメッセージ)で
「君は本をまるごと読もうとしているみたいだけど、それは無理だからこれを使いなさい」
と言いながら、ルーペみたいな平たいレンズを渡してきたことがあった。
このときの辞書こそ【女教皇】だね。
一方のルーペは、さっきの指差し【魔術師】に通じる。ここを読む!という、どこか1か所を指し示す「意図」、「フォーカス」がないと、無意識の暗黒は広すぎて、飲み込まれてなにも習得できない。
個人的に【魔術師】の力、男性原理を使いこなすのが苦手なので、ここでもか~という感じのエピソード。。
4元素を象徴する4人のラビの話。4人のラビが天国の門をくぐるんだけど、無事に帰ってこれたのは土の要素のラビだけでした、というやつ。
火の要素が強いラビはエクスタシーで即死して、風のラビは自分の知識と違うものを見て背信者となる。水のラビは情報量に圧倒されて発狂してしまう。
私は間違いなく水のラビです。ホロスコープチャートも水だらけだからなあ。
とにかく【女教皇】は、静かな無意識の暗黒。沈黙している種子。受精する前の卵子だから。「潜在」という言葉がぴったり。すべての概念が包含されている。
松村さんとかモーエンさんとか、いろんな人が言う黒いベルベットみたいなやつのイメージにも近いのかな?
男性性というのは介入する力、女性性というのは受容する力。
そういう意味で【女教皇】のカードの(占い的な)意味にもつながる。智恵だし、直観だし、受け身。
3. The Empress 女帝
【女帝】は1+2=3。陰陽の最初の統合。陰と陽があって宇宙が出来上がる。
世界各地の神話でも、現代の物理学?宇宙論?でも、攪拌によって世界ができたってのは共通している。
攪拌には、かきまぜるものと、かきまぜられるものがある。かきまぜるのが男性原理【魔術師】で、ある意味これが創造神にあたる。
(創造神は絶対神が自らを"2つに"分割したものと言われる。)
言わずもがな、かきまぜられる方が【女教皇】。
そして攪拌によって生まれるすべてのもの、物質界を含むあらゆる宇宙、生命、大地の恵み、それが【女帝】の表すもの。
時の流れもここから出現する。
だから、個人のレベルで見たなら、精子と卵子が出会った受精卵というわけ。種に日光が当たって、発芽が始まる。
12感覚の話をするなら3つ目はふたご座、言語感覚。
言語化するっていうのは、分割しまくることと同じ。生めよ増やせよ的な?
これはこれ、あれはそれ、と名前を付けること。区別すること。理解できる形にすること。ある種のルールを作ること。
特定の色を示す言葉が存在しない文化ではその色を認識できない、という話があるけれど。
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
って創世記のあれ。
そういえば。ちょうど1年前か、先生に You create your world. The world contains everything. You name them. と言われたことがあった。
苦しみも自分が作っている。「これは苦しいことだ」というルールを自分で作って適用しているだけだ、というような話。
しんどければルールは undo (解除)してしまえばよい。
今思うと You "name" them ってすごい含蓄深・・・創世記かよ・・・
そのときも ほよ~ と思ってたけど、こうやってつながると楽しい。
あと個人的にはこの【女教皇】と【女帝】という名付けかたにすごく感動した。
タロットのオカルト的側面について勉強する前、男性性と女性性について一生懸命考えていたころに、男性性と女性性を統合するとなぜ女性性みたいになるのだろう??と思っていたから。
作る、受け入れる、作る、受け入れる、というのを繰り返すのが大事だよね、という話で、それを同時にやったらすべてを受け入れ続けるということになるから、女性性っぽいなって。(言語化を諦めた・・・)
とにかく答え合わせのようで興奮。
【女帝】の段階になるとやっとこの世界に命として誕生する。
母のおなかの中にいるとき、赤ちゃんと母は一体である。
実は、おなかの外に出てきた後も、母と子は同じである。
これはいわゆる毒親の理論ではなく…(笑)、形而上的な、法則としての話。
なぜなら子を産む母も、生まれてきた子も、愛そのものの体現者だからだ。
母親が我が子に圧倒的な無条件の愛を注ぐ、というのは一応共通理解があるところだと思う(今の物質界ではなかなかそうでもないこともあるけど・・・)。
で、スピリチュアリストに言わせれば赤ちゃんこそ愛の塊だから、母親が赤ちゃんを抱きかかえると圧倒的な愛を流して母親のチャクラを全部開かせると。つまり愛は相互だ。
1+2=3で生まれた【女帝】は全宇宙であり、愛であり、ありのままの情動であり、あらゆるドラマである。
私の敬愛するアラン・プライスの曲にSunshine and Rainというのがあって、それの詞がこれを説明するのにぴったりなのでちょっと引用。
Sunshine and Rain
Everything seems the same
Who take the blame
That's the name of the game
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